世の中はクリスマスイブの真っ最中。恵比寿でも週末カップルが多く
飲食店さんも今が書き入れ時のシーズン到来でございます。
そんな中恵比寿新橋地区では大きな再開発が決まったというニュースも。
変わりゆくこの恵比寿という町の過去の姿をアーカイブし続けています
恵比寿新聞の「恵比寿な人たち」のコーナー。今年最後の「恵比寿な人たち」
今回お話を伺うのは恵比寿で唯一昭和の風情が残る「新橋地区」の
新橋商栄会会長石田幸太郎さんに戦前・戦後のお話を聞きながら古き良き
恵比寿の街の生業を今回ご紹介したいと思います。
石田幸太郎さん 1941年生まれ 73歳
石田さんは生まれは京橋。当時のトピックとして映画館でのニュース映像配信を義務化
軍国主義をプロパガンダ的に広めるための制度ができたり日本で初の議会放送が始まったり
世は第二次の戦争へと進んでいく真っ最中に石田さんは生まれます。
石田会長
京橋のうちは戦争で焼けて、その頃俺は熱海のほうに疎開してたんだよ。結局母一人子二人の生活で京橋の家の再建もできないから知り合いの伝手でこの恵比寿に住むことになったんだよ。当時この辺(新橋地区)は空襲で焼けたからその跡地に畑やってる人がいてたくさんあったんだよ。聞くところによると戦前、この辺は物凄く栄えてたんだって。商店だらけで人がごった返していた地域なんだよ。
とりだしたるは戦前の恵比寿新橋の商店街の地図。ずらっと多分300件ほどの
商店が立ち並ぶ巨大商店街だったという事がわかります。
しかも牧場があったって。。。戦前は恵比寿に牧場があったって知ってました?
丁度この地図の赤い部分から撮影した写真があります。実際にどこの場所なのでしょうか?
結構びっくりしますよ。どうぞ。
恵比寿2丁目のファミリーマートの部分が牧場だったってビックリすぎますよね。
昔の方はこちらの牧場に牛乳を買いに行ってらっしゃったそうです。。なにそれ。
あと交番がこの辺にあったんですね。戦前の地図からいうとここ。
今はどうなっているかというと。
住宅になっております。そういえば第五回目に登場いただいた居酒屋久美の
岡安松男さんの話によると居酒屋久美の前身のお店もこの辺にあったという事は
戦後に交番が無くなったという事でしょうね。つづきまして現在の写真から
この通り皆さんわかりますよね?恵比寿駅からちょっと離れた「新橋ぽかぽか通り」
去年3月に惜しまれつつも閉店した「新橋湯」のあった通りでございます。
昔の地図でいうとこの位置から撮影しております。
地図から見てみますと左手のハワイアンショップ「パンドール」が油屋さんと
足袋屋さんとお菓子屋さん。現在のクニオミルネオビストロさんやVia PocaPocaさん
の場所が蕎麦屋・炭屋・センベイ屋。ビストロebiteiの場所が酒屋さん!?
丁度ビストロebiteiの前で撮影した戦前の写真がありましたので見てみましょう。
こちらが現在。
こちらが戦前。
ん~歴史を感じますね。変わらないのは昔も今もお酒を売っているところ。
現在この辺は名店ひしめくグルメ街となっておりますが昔は小さな商店が
立ち並ぶ商店街でした。石田さんのお宅も戦後お母様が駄菓子屋さんを
営んでらっしゃいました。
石田さん
うちの母親は戦後駄菓子屋を始めたんだよ。駄菓子屋と言ってもセンベイ屋みたいなお店で。母が50歳になるまで続けていたんだけど母が引退するので駄菓子屋という商売を辞めることになったんだよ。最初は駄菓子屋の店内の横に文房具やペン・ノートを置くようになって、その後写真の現像をするようになって、その流れで印刷屋をやることになったんだよ。
※現在の石田さんのお店「印刷工房イシダ」
石田さん
当時の新橋商店街は新橋湯もあったからにぎわっていたんだよ。その頃家に風呂がある家なんてそうそうなかったからみんな新橋湯を利用してたんだよ。夜の1時までやってたからね。昭和は新橋湯を中心に栄えたのかもしれないね。
お話の中で出た「新橋湯」は2013年3月に惜しまれつつも閉店しました。
そんな新橋湯が町の中心だったんですね。その他にも現在の臨川小学校の
向かいの広尾1丁目の交差点に都電のチンチン電車の駅があったそうで、
この商店街が栄えたのもその駅がランドマークとなり栄えたという話があります。
※2013年3月に閉店した新橋湯
変わり続ける街
石田さん
戦前戦後の商店街の賑わいは懐かしい物があるよね。しかし後継ぎの問題や開発で元々住んでいた方がその土地をマンションにして郊外に引っ越して行ったり、現在の時代の流れもあるでしょ。小さなお店はやっていけないわけで昔に比べると今は本当にお店が減って飲食店さんが多くなったね。20年前にできた恵比寿ガーデンプレイスを境にこの町は新しく良い意味で変わったともいえるけどね。
事実現在恵比寿は「住みたい街ランキング」で上位の街。しかし20年前は工場と低層住宅
しかなかった下町でした。20年前にサッポロビール工場が恵比寿ガーデンプレイスに変わり
街はひときわ新しく変貌。恵比寿駅前にはアトレが誕生し、古くから続く商店街や住宅地は
ビルやマンションに変わりこの20年間で一気に変貌を遂げた。
今だからできる事
石田さん
我々の新橋商店街も既に商店街ではなく住宅地と飲食店の街になってきました。しかも人気のお店も多数ひしめくグルメの街としても都内の多くの人達から愛されています。商店街としてもそんな若い経営者の人達と一緒にこの新橋商店街を盛り上げて行ければと思っています。時代はどんどん変わるけどこの辺の人達はまだまだ「隣三軒両隣」で仲睦まじくやってます。
恵比寿でも昭和の風情が残るこの新橋地区。そして来年から大型の再開発が始まる
というニュースも入ってきました。新しくなり便利になるのはうれしいことですが
古くから残るこの「昭和の風情」がこの恵比寿からどんどん無くなっていくのも
寂しい物があります。時代は川のように流れて逆流はできませんが少しでも
「こんな町だったんだよ」という記録を残せればと思いこの記事を書く朝に
撮影してきました。
この辺が住まいの方からお話を聞くと昔は子供が沢山この道でボール投げやかくれんぼ
缶けり、あやとびなんかしててにぎやかだったそうです。
戦前から残る抜け道。もう無くなってしまうのかと思うとなんだかいとおしい。
ちょっと奥に見えるのが戦前から残る小さな階段です。
この道を抜けるとこの裏の路地に出ます。ここもまた昭和の風情が残る小道。
なんだか恵比寿に見えないですよね。この辺一帯が大きなマンションに変わって
また新しい家族たちがこの場所で歴史を刻んでいくわけです。でも新しく住む人が
「昔この辺はこんな町だったんだよ」と知ってもらいたい。
撮影中も「おばちゃ~ん。今日は病院いかなかったの~?」なんて話声や
「今日は天気がいいね~洗濯物ほさなきゃ」なんて話声も聞こえて。
いかにこの辺の方たちが肩を寄せ合って暮らしていたのかわかります。
そして最後に貴重な写真。戦前に撮られたこの地区の「氷川神社例大祭」の
集合写真。場所は恵比寿2丁目の広尾に抜ける坂の途中で撮られたものです。
場所でいうとこの辺。昔この辺に神酒所があったそうです。
今はこんな感じの場所になっていますが。
昔はこんな感じだったそうです。
変化に順応し新しい物を受け入れ続けている恵比寿。近隣が便利になる一方
無くなっていくものもあります。在りし日の姿と言ってしまうとなんだかさみしい
気持ちになってしまいます。ですが記憶を記録に残すという事を今後も続けて
行きたいと思っています。メリークリスマス。