皆さま渋谷氷川神社例大祭2017年度
お疲れ様でございました。恵比寿新聞は
この5年間、渋谷氷川神社に宮入りする
「連合神輿」の一番最初に宮入りをする
「一番基」の取材を行ってきました。
恵比寿には31箇所の祭礼会があり
そのうちの7祭礼会が連合神輿として
渋谷氷川神社へ明治通りを使い宮入を
行っています。
今年の一番基は渋谷東地区にあります
「丹後会」に密着しました。
そもそもお神輿ってどういう人が集まりで
どういう儀式やプロセスを経て担がれるのか?
今回は丹後会さんのご協力でみなさんが
あまり知らないお神輿の世界を解説付きで
そして「丹後」の歴史について
ご紹介したいと思います。
丹後会神酒所
こちら渋谷東渋谷川沿いにあります
丹後会の神酒所。神酒所とは各町内
に点在する「祭礼会(さいれいかい)」
の拠点であり神様が降りてくる場所です。
出発も〆もすべてここから始まりここで終わる。
なんと今日は本祭りの前々日の大切な儀式。
御霊入れ
がある日でした。
こちら丹後会のお神輿の責任者の小俣智嗣さん。
小俣さんは大正12年から続く「オマタ土鑛機商会」の
三代目。皆さん電車に乗ると見えませんか?
恵比寿から渋谷に向かう電車の進行方向右側。
「オマタ土鑛機商会」が見えると思います。
恵比寿新聞
小俣さん!今年はよろしくお願いします!メールした件なのですが・・・
小俣智嗣さん
恵比寿新聞さん。今年よろしくお願いします。メールしたのは2号のほうですね。
恵比寿新聞
2号?
小俣智嗣さん
おーい!まさー!!恵比寿新聞さん来たよー!
ギャー分身したw
ってのはお約束で丹後会の神輿の責任者の
小俣さん実は双子のツインズだったのです。
こちら小俣2号こと小俣 雅弘さん。
以下お兄さんを1号。弟さんを2号とします。
恵比寿新聞
いやぁ~。毎回このツインズネタでお茶の間ドッカーンですね(笑)さて、今日は大切な「御霊入れ」の儀式なんですがその前に「丹後会」の歴史からお話を伺いたいのですが。
小俣2号
恵比寿新聞さん。ここが渋谷東になる前の町名が「丹後町」だったってことは知っていますよね?
恵比寿新聞
はい。以前「恵比寿の旧町名」の取材で知りました。確か昭和30年ごろ消滅していると記憶しているのですが。
小俣2号
町の名称に「丹後」という名前が使われた最初が昭和3年。東京府豊玉郡渋谷町大字下渋谷字四反町から東京府豊玉郡渋谷町大字丹後になった時に初めて「丹後」が使われたそうです。
恵比寿新聞
うぁ。東京府だった頃ですね。昭和3年といえば1928年。今から89年前。(ちなみに手塚治虫が生まれた年)
小俣2号
「丹後会」の名前のもとになった最初の出来事ですね。昔この辺は比丘橋~庚申橋間の当たりに丹後守の下屋敷もしくは所領があったらしいんですね。
恵比寿新聞
現在の恵比寿3丁目は宇和島藩伊達の下屋敷があったので「伊達町」という名前だったんですが「丹後町」もそういう由来なんですね。
小俣2号
その後昭和7年に渋谷区が成立した時に「丹後町」という名前になり、丹後の名前が地域名として使われていたのは昭和 3 年~昭和 35 年の約 32-33 年の間だったんですよ。
丹後会創立
恵比寿新聞
たった32~3年の間に使われた町名がそのまま祭礼会の名前になっているということはこの頃にお神輿ができたということなんですか?
小俣2号
ちょっとここからは複雑になるので簡単に説明すると今もこの辺は「渋谷隣交町会」という名前なんですが昭和 30 年~35 年ごろから区画整理による町会・町名の変更があったんですね。
恵比寿新聞
いわゆる「恵比寿」という町名が採用され始めた時代ですね~。
小俣2号
区画整備や町名変更に伴って現在の「渋谷隣交町会」の前身となる「渋谷隣交会」が組織されたんです。町会組織も再編活動が始まり「丹後町」の町名自体もなくなり丹後独自の集まりがなくなったので、お祭りだけでも丹後としてやりたいということで「丹後会」がスタートしたそうです。
恵比寿新聞
なるほど。自分たちの慣れ親しんだ町名が無くなるということで祭礼会だけでも引き継ぎたいという思いがあったのですね。しかし小俣さん歴史めっちゃ詳しいですね!!
小俣2号
いやいや(笑)何を言ってるんですか?(笑)恵比寿新聞さんが取材に来るから徹夜で調べたんですよw
恵比寿で唯一!?
恵比寿新聞
しかし神酒所の風格がなんとも歴史を感じますね~。
小俣2号
恵比寿新聞さん。実はこの丹後の神酒所。他とはちょっと違うんですよ。
恵比寿新聞
他とは違う?どういうことですか?
小俣2号
実は祭礼会が持っている土地に建てた神酒所なんですよ。
恵比寿新聞
え!?どういうことですか?・・・・
解説しよう!
通常「祭礼会」の「神酒所」というものはその祭礼会の氏子(会員)の土地を一時的に借りて「神酒所」を祭りの期間中だけ作るのが通常だが、丹後会に関してはなんと「祭礼会」が土地を所有しているという、たぶん渋谷いや・・・東京でもかなり超ウルトラスーパーレアケースな祭礼会なのである。いや。すごいことなんです。。
恵比寿新聞
えーーーー!!!???まじでーーー!!!!ぶっとびーーー!!!!!
小俣2号
たまたま恵比寿区割整理組合事業(昭和 35 年事業完了)に現在の土地が残っていたので、町内の氏子が僅かなお金を出し合って、祭礼用の土地を購入したんです。なかなか無いと思いますよ。こんな神酒所。
担ぎ手不足による危機….
恵比寿新聞
町の人たちの想いが丹後の名前の継承や神酒所の土地購入の出来事を見てよくわかりました。
小俣1号
でもね。実は担ぎ手不足による深刻な時代もあったんですよ。
恵比寿新聞
担ぎ手不足!?
解説しよう!
1994 年(平成 6 年)頃まで丹後会は連合渡御(渋谷橋から氷川神社まで神輿を担いで宮入りする)に参加するなど大神輿の渡御を行っていたものの、担ぎ手不足等の理由によりそれ以降大神輿を出さなくなり、神酒所の設営と山車のみ渡御を行う形態になった時期があった。
恵比寿新聞
え・・・そんな時期があったんですね。。。担ぎ手不足で連合のお神輿に参加しなくなったなんて。。やはり「担い手(にないて)不足」なのでしょうか?
小俣2号
理由はいろいろあるんですが、88年か89年にお神輿の責任者の新井さんという方が亡くなって。そこから少しづつ停滞していったんですね。神輿の仕切りは大変なんですよ。人集めたり、一番人に気を遣う仕事なんです。
恵比寿新聞
時代なんですね。。しかしお神輿の仕切りのキーマンが居なくなったことでの打撃は大きいですね。
小俣2号
その他にも当時はバブルが終わるかどうかの時代で。しかしまだ物も生活も豊かで風潮として「町内の付き合いなんてなんか田舎臭くて格好悪い」というのもあったと思います。あとみんな転居していったというのも重なって。
恵比寿新聞
恵比寿がビル化していく真っ只中で今では「街のコミュニティー」とか言われていますが、当時は「近所づきあいなんて田舎臭い」って風潮もあったんですね。
小俣2号
とにかく僕ら兄弟は小さなころからお爺ちゃん父親の代から神輿好き。小学校の時は新井さんのお父さんに神輿を教わり、中学高校は今も丹後のお神輿の祭礼委員長の亀山さんに教えてもらって、大人になってお神輿の仕切り方に関しては宮本氏子会の小林さんや菅原さんに教えてもらったもんです。
恵比寿新聞
そうだったんですね。地域の先輩方から脈々と受け継がれているんですね。それで1994年を境に連合神輿に参加しなくなりどうやって丹後の神輿を連合に復活させたんですか?
小俣2号
その10年後の2004年に大神輿の修繕をやったんですよ。このタイミングで出さないわけにはいかないでしょうということで35人の担ぎ手を集めて10年ぶりに渡御したのがきっかけで今でも続けているんです。
恵比寿新聞
35人!?失礼かもしれないのですがかなり少ない人数ですよね。。
小俣2号
もともと丹後会のエリアは他の恵比寿のお神輿の祭礼会に比べて小さいんですよ。
小俣1号
周りのお神輿同好会の方々やお神輿好きの睦さんに協力を仰ごうとしたんですが、、表面的にはにぎやかに見えても丹後のお神輿の再生の根本的な解決にはらならいと判断してあえてお神輿を体験したことのない町内在住者や在勤の人たちを集めるようにしたんです。
結果現在は?
恵比寿新聞
2004年の復活を35人の氏子で再出発したのち、現在はどういう状況なんですか?
小俣2号
今では数人だった役員は十数人に増えたんですよ。35人だった担ぎ手は現在は100人を超えるようになりました。
恵比寿新聞
すごい。そこには並み並みならぬ努力があったんでしょうね。
小俣2号
こうやってこれたのも理解していただいている渋谷区町会連合会長も歴任されたこともある福田さんや諸先輩方やこの地域で活動している氏子のみんなのおかげです。
いよいよ御霊入れ
いよいよ「御霊入れ」の儀式です。
「御霊入れ」とはお神輿を渡御(とぎょ)するのに
必ず欠かせない儀式なのです。御霊とは神様。
「御霊入れ」は社殿から御魂を神輿に移す儀式
なのであります。この辺の氏神(うじがみ)は
氷川神社。渋谷氷川神社の氏子は
以下の地域が氏子地域と言われています。
氏子地域
渋谷区東一丁目~四丁目
渋谷区猿楽町1~5・7~23
渋谷区代官山町
渋谷区恵比寿西一丁目~二丁目
渋谷区恵比寿南一丁目~三丁目
渋谷区恵比寿一丁目~四丁目
渋谷区広尾一丁目~五丁目
ちなみに広尾の「元広尾」さんは広尾稲荷も
氏神ということで土曜日は広尾稲荷へ
日曜日は渋谷氷川神社へ宮入されています。
「御霊入れ」は渋谷氷川神社から宮司さんが
いらっしゃり神様を降臨させてくださいます。
神様を入れるときは見ちゃいけないんです。
どうなっているのか気になりますよね。
そして宮司さんが「ビョーーーーー」っと
言うんですよ。いつも気になるこの掛け声。
神様が降りてこられる音なのでしょうか。
無事御霊入れは終了
本当に雰囲気あるんですよね。
この近くに住むおばあちゃんとかも
集まってきて「神様来るんでしょ~」って
おばあちゃんに「いつもくるんですか?」
って聞いたら「そう。毎年楽しみなの」
って仰っていて。丹後の町の人たちも
楽しみにしているんだな~。
御霊入れが終わったら神酒所でお疲れ会。
小俣さん兄弟が縦で並ぶと乱視に
なったかとおもうわw
いやぁ~いつも通っている道でお酒を
かわすなんてとても非現実的。
恵比寿新聞
まいったなー。この雰囲気かなりいい感じですね~。いいな~いいな~。
小俣1号
神輿終わりの鉢洗いはこの道に100人ぐらい机並べて飲むんですよ。
恵比寿新聞
マジっすかー!!!!超楽しみ~!!!!
小俣2号
折角だから恵比寿新聞さん。この構図で写真撮ってほしいんですよ。
恵比寿新聞
うぉ~昭和35年から57年の時を経ての同じアングルからの撮影ですね。僕でいいんですか?
小俣2号
もちろんお願いします。
なんだか光栄だな~。
時を超えて同じ場所で同じ立ち位置で
写真を撮ると57年前。この写真を撮った
方はどんな思いでシャッターを押したのかな。
とても不思議な気持ちになりました。
そしてこの後、恵比寿新聞は丹後の神輿の
真髄を知るというとはこの時点で知らない。
ということで今回は丹後会の歴史。そして
「御霊入れの儀」をお送りしました。
次回は「宵宮」そして「本祭り」の回です。