【食歩伝】Vol.6 親子でつなぐ「わっぱ飯」

シェア・送る

恵比寿新聞の編集長の日々恵比寿の色んな飲食店へお邪魔してはお料理の話に花が咲いてしまう出来事をショートコラムで紹介する「食歩伝(しょくほでん)」。今日は恵比寿南にあります老舗居酒屋「民家」さん。

東京都は今日新たに2万1576人の感染者が出たと発表した。過去最高の数字を記録した2月2日、恵比寿新聞の事務所の横の柿木の渋柿はいつも変わらず例年通りこの時期になると熟れに熟れてメジロが群れを成して自然の恩恵を受けている。人間様は大変なのに鳥たちはいつも通りというのも滑稽なもんです。あぁ人間よ。

人間の世界はどんどんと進化(退化かも)している。先日まで並んでいたお店がもう既に下火になっている、なんて恵比寿ではざらで人が興味を持ってから飽きるまでの速度が著しく加速しているように思う。夢を食べるバクのように人は新しい情報が大好物なのかもしれません。しかしそんな「ナントカ心と秋の空」のようにコロコロと変わる恵比寿で、いつも変わらぬものが沢山ある。今日伺ったのは創業今年で50年の老舗居酒屋「串いろいろとわっぱ飯 民家」さんのお話。

この恵比寿の地に創業したのが昭和47年。昨日訪れた「喫茶室とし」さんと同じ創業年という奇遇にもほどがある「半世紀組」の民家さん。オーナーの二代目にあたる大和田さん。長谷戸小学校→鉢山中学校出身で所謂「地元民」の大和田さんは先代である父からこの民家の商売を引き継ぎ今も創業当時と変わらぬ味をつなげている。

民家創業物語

どうして恵比寿に「民家」ができたのという話ですが、さかのぼる事、戦後の話。大和田さんのお母様のご実家が浅草で「 成田家 」(現在は閉店)という居酒屋を戦後すぐに開業。当時の浅草の様子をお母様が「今や観光地ですが昔は全然違った博打と芸事の街だったんですよ」と笑いながら話す。国際劇場(ドリフターズの8時だよ全員集合の収録場所)やストリップ劇場(ビートたけしさんのフランス座など)の話も飛び出した。大和田さんも小さい頃国際劇場でドリフターズの8時だよ全員集合!の収録を観に行ったという。「志村うしろー!」の時代ですね。

そして今から50年前。大和田さんが当時2歳の時に「 成田家 」の流れを経て大和田さんのお父様とお母様がこの恵比寿の街にお店を開いた。場所は現在のお店の向かいに今もある「チャモロ」や「珈琲家族」のビルの1階(現在flamingoの場所)に創業。なんと、民家さんと同じくチャモロさんも珈琲家族さんも同じ年にOPENしたから「半世紀組(50年戦士)」だという事が大和田さんのお話でわかった。

当時浅草の「成田家 」では様々な「串物」と「わっぱ飯」を出していた。「わっぱ」とは、杉の薄い板を曲げて作った弁当箱。杉の木の抗菌作用で飯が傷みにくいという点から移動の際の弁当箱として重宝されたそうです。諸説あるのですが「わっぱ飯」の起源は新潟市にある「田舎家」さんが昭和27年に開発したという。大和田さん曰く、先代から聞いた話では「東京でわっぱ飯を出せば新潟や北陸の人が懐かしむのでは」という発想から出したそうな。

成田家のレシピを忠実に再現し今から50年前に恵比寿でお店を開店。その後約20年前に今の大和田さんの代に引き継がれ半世紀前の作り方を忠実に守り現在もお店の名物として提供している。その成田家から引き継がれたわっぱ飯が「鮭といくら」がふんだんに使用した「親子わっぱ飯」なのです。

親子でつなぐ「わっぱ飯」

お母様の話では大正時代から浅草で生活した大和田さんのお婆さまから引き継いだ味。いわば「三代」(子・親・孫)に引き継ぐわっぱ飯。そんな「民家」で引き継いだ鮭といくらの「親子わっぱ飯」。実は今回大和田さんの代で新しいわっぱ飯が誕生することになった。そのわっぱ飯がこちら

新しい「親子わっぱ飯」

実はこのわっぱ飯。3月15日から解禁なのですが、使用されている具材が「鮭といくら」ならぬ「鯛と鯛子」のわっぱ飯なのです。「鯛子」はご承知の通り「鯛の卵」。旬の3月に合わせて現在試作を重ね、実はとあるお酒とペアリングする予定なんです(すみません情報解禁までしばしお待ちを)

本日先行で頂いて参りましたが、これがまた大人の料理なのですよ。たくさん乗った具材を食べながらお酒と共に頂くというスタイルなのですが、箸が迷うほどの楽しさ。「ちょっと鯛の身をつまみにお酒をグイっと」と玉手箱のような遊びのできるスタイルなのであります。

そしてこの成田家から引き継がれるぬか床で漬けられた「ぬか漬け」がこの世のものと思えぬほどの歴史的なお味。こうやって変わらぬ味を提供するお店が恵比寿にはまだまだある。しかし時代を経て進化もしている。また通えるお店が増えました。

シェア・送る