恵比寿新聞は知っている。
何年も何年も頑張ってやっとお店を開いたことを。
地元のみんなも知っている。
いつも誰よりも頑張っていたことを。
いつの日かオーナーシェフという立場で
恵比寿新聞が取材できるといいなと思っていた
念願の取材がやっとできる事になった。
今回ご紹介するのは
1年目にして既に人気店になり
予約がいっぱいなここ「代官山Take」。
この街で生まれ育った大上シェフ。
現在コロナ禍の中テイクアウトのみの営業で
頑張っている。そんな大上シェフのものがたり。
大上シェフ
恵比寿新聞さん。本当にありがとうございます。
この人は本当に腰が低い。低いもんじゃない。
もうすでに腰が無いくらい低姿勢な大上シェフ。
恵比寿新聞が出会ったのは
大上シェフが渋谷東のJOLLYSでバイトしていた
時だからかれこれ4年前。JOLLYSの幸さんから
「恵比寿新聞さん!彼今恵比寿でお店やる為に
物件を探していて何かあったら連絡してあげて」
というものだった。
それから程なくして今は山梨県上野原に移転した
ソーセージスタイルhayariの厨房に立っていた。
オーナーシェフの村上武士シェフの下で
大上シェフは働いていた。
恵比寿新聞
TAKEさんお店の場所みつかった?
大上シェフ
いや・・・実はまだ見つかっていなくて・・・
そして念願が叶い自分のお店を2019年10月に
オープンさせた。お店をオープンするまでの
険しい道のりは大上シェフの先輩や仲間から
聞いていた。今日はそんな大上シェフこと
TAKEさんにその道のりをじっくり聞いてみた。
生まれ育った町で商売がしたい
「そういえばTAKEさん。小学校ってどこ?」
そんな話からこの話は始まる。
小学校は常磐松小学校
中学校は鉢山中学校とこの街で育ったTAKEさん。
高校在学中に見た「料理の鉄人」に触発され、
高校3年生の時に親に頼んで半蔵門の知り合いの
フランス料理店でバイトを始める。
大上シェフ
高校2年の時にテレビで「料理の鉄人」に触発されて。あの当時東邦生命ビル(現:渋谷クロスタワー)の屋上にあった「ラ・ロシェル」の坂井宏行シェフに憧れて、高校3年生の時に親の知り合いの半蔵門にあるフレンチレストランでバイトさせてもらっていたんです。それが料理を始める最初のきっかけですね。
フレンチの料理人になりたい
そして専門学校に通いながら
夜はフランス料理店でバイトする日々が続く。
卒業を期にフランス料理店に入り修行。
そんなとき。
たまたま飲みに行ったバーで指摘された一言。
「お前は渋谷の実家暮らしで良いよな。でもさ本気でフレンチやるなら自立して外国でも行って来ればいいじゃない?」
そんな言葉を真に受けてしまった大上シェフは
そこから渡航の為の費用を貯め
外国を目指すことになるが
ここで運命のいたずらが
大上シェフ
バーテンダーの方の話を真に受けちゃってそこからお金貯めてフランスに行く予定だったんです。そしたら父親が柔道をやっているんですね。そんな柔道つながりでイタリアのトリノで柔道を教えている知り合いがいるからその人伝手でまずはイタリアからフランスに行ってみればと言われて(笑)イタリアのトリノに行くことになったんです。
人生が180度変わったイタリアンの世界
なぜかフランスに行くはずが
イタリアのトリノになってしまった大上シェフ。
イタリアトリノで柔道を教える知人を伝手に
地元の料理店で働き始めて人生が180度変わった。
大上シェフ
最初紹介してもらったトリノのお店で働き始めたんですけど、現場に入ったら「なんじゃこれは?!」というような衝撃で。その時僕が知っていた日本のレストランとはやり方も感覚も全然違うんですね。厨房ではイタリア語が飛び交う現場でパスタを作る様子やトリノの郷土菓子のパンナコッタを作ってる現場をみて「こ・・これは・・・」と衝撃を受けて。気づけばイタリアンの魅力に魅了されて学生ビザで行ってたんですが就労ビザも取ってトリノに2年住み続けることになって。
気づけばイタリアンの虜に
結局気づけば2年イタリアのトリノで
生活をしていた大上シェフ。ちょどその頃。
お世話になっていた東京のフレンチレストランで
スタッフの空きが出たため
「そろそろ戻ってくるか?」
と召集がかかった大上シェフ。
帰国の途に就きます。
大上シェフ
そろそろ帰ってくるか?と言われて日本のお世話になっているフランス料理店に帰国して働くことになったんですが、もうその頃にはイタリアンをやりたい気持ちが強くてオーナーさんに直談判して「イタリアンの勉強がしたいので辞めたいです」と言ったんですよ。あっ。恵比寿新聞さん。僕が作った手作りマカロン食べません?
🥄かぼちゃの甘じょっぱいマカロン
これがまぁ旨いのなんの。
マカロンはお手製のマカロン。
以前働いていたフレンチでは大上シェフ
マカロン担当だったそうでその味は絶品。
中にはかぼちゃをペースト状にした餡が
入っており塩気が利いてマッシブなお味。
さぁオーナーの「僕イタリアンがやりたいんです」
と直談判した大上シェフの行方の続きです。
フレンチからイタリアンへの転身
そんなこんなでオーナさんへ直談判し
イタリアンの道へ転身した大上シェフ。
そこから思いもよらぬ苦労の連続がはじまる。。
大上シェフ
そんなこんなでイタリアンに転身したんですが、僕の場合若い時に中途半端な状態でトリノで修行した性もあり基礎ができていない状態だったんですね。ほとんどの料理人は基礎ができてから海外に修行に行くのですが。その頃イタリアから帰ってきた料理人だから「何でもできるだろう」と他のシェフからも思われてそんなにできないので当時は本当に苦労しましたね。。
日本でイタリアンの基礎を学ぶ
それから色んなイタリアンの店を渡り歩き
イタリアンという奥深い世界と基礎を学ぶ日々が続く。
今でも忘れられない32歳の時に働いた
渋谷の超名店イタリアンでの
あの日あの時の経験が今に生きているという。
大上シェフ
32歳の時に働いたそのお店の影響が大きいですね。そのお店の入社テストが「賄い」なんですよ。その時出したのが豚肉を炒めてその後豆とトマトで煮る煮込み的なものを作ったんですが、今考えてもなんであんなものをと思いますが合格してそれからその店で3年半の間賄いの担当になりました。最初に2年間は毎回怒られてましたね(笑)最初の1年半は洗い場に入ってそのあとデザートと前菜の担当になって、炭焼きと揚げ物の担当にしてもらい。オーナーやその当時の上司に教えてもらったことが今でも励みになっています。賄い一つにしても必ずひと手間を加えるというのが自分の中では料理の原点ですね。
その後なぜかワインバルへ
そんなかけがえのないお店で修行し
次に移ったのはなぜか「ワインバル」。
どんな意図があったのでしょうか?
大上シェフ
その頃から気軽に遊びに来れるような「ワインバル」的なお店を自分でもやりたいと思っていたんですね。実際にそのノウハウもなかったですしずっと厨房に入って仕事をする日々だったので。でもその後が大変だったんですよ・・・あっ。恵比寿新聞さん。今日豊洲から美味しい鯵が入ったので食べませんか?
🥄鯵のカルピオーネ
ごめんなさいね・・・(笑)
その先を知りたくなる寸前でこの
食レポが入るって。ねぇ。僕が悪いわけじゃ。
地元の幼馴染も料理人でそんな幼馴染から
紹介してもらった魚河岸さんから仕入れる
新鮮な鯵を使用したカルピオーネ。
所謂日本で言う所の「南蛮漬け」ですね。
噛み締めると鯵の旨味とビネガーのサワー感
がじゅわ~っと染み出る素晴らしい逸品。
さぁつづきいきましょうか?
本格的にお店の準備に入るも
その後本格的に自分のお店を始める為
準備が始まります。そこで登場するのが
恵比寿の酒屋JOLLYSとソーセージスタイルhayari。
その頃今の奥さんとも出会い二人三脚で
お店の準備を進める傍ら夜はJOLLYSと
HAYARIのバイトを掛け持ち。朝方運送屋の
仕事をするという超過酷ダブルワークへ突入。
コロナ前の恵比寿は開業の競争率も高く
あるお店では40社待ちの店舗もあるほど。
時間を見つけては物件を探すも見つからず
料理の世界から少しづつ離れていく。
大上シェフ
とにかく開業資金を貯めなきゃいけないと必死で働きましたね。当時は地元の先輩の紹介でJOLLYSさんでバイトさせてもらいながら朝方には運送屋の仕事。空いた時間で物件探しをするも全然恵比寿で物件が見つからず。結局3年かかりましたからね。当時は寝てなかったです。とにかく開業資金を貯めないとと遊びたかったけど遊ばずにひたすら働いてました。料理の世界からも離れてお金を貯める生活。その頃出会った奥さんからも「目つきが鋭く怖くなってる」と言われやっぱり料理していないと駄目だとソーセージスタイルhayariさんでバイトさせてもらうようになったんです。
奇跡の作文
顔つきが変わるほどの過酷な生活。
ソーセージスタイルhayariで
料理をする傍ら物件探しの日々が続く。
ある日のこと小さな不動産屋を大上シェフは
見つけます。そこでまた奇跡が起こります。
大上シェフ
恵比寿新聞さんもご存じだと思うのですがあの当時本当に物件なんかみんな出したいから一つも無くて。正直自分のお店を自分が生まれ育った場所で出すことを諦めかけていた時にたまたま家族で経営されているような小さな不動産屋さんを見つけたんです。するとこの物件を見つけて。どうしてもこの場所でやりたいと思って大家さんさんにこの思いのたけを作文にして出したんですよ。すると奥からオーナーさんが出て・・・あっ。恵比寿新聞さん。今日限定で出す予定のロールキャベツ食べます?
🥄赤鶏さつまのロールキャベツ
いやマジでこのタイミングで寸止めされると
気になって味がわからなくなるわ~と思いきや!
1羽の赤鶏さつまを仕入れて全部自分で捌いて
むね肉やもも肉とニンニクやその他マッシュルーム
なども入れ、スープは赤鶏さつまのガラを使い
丁寧に仕上げた逸品。まるこーいまるこ~い
柔らかで優しく深みのある味わいにペコリーノ
チーズの塩気が素晴らしいアクセントになっています。
さぁつづきいきましょうか・・・
すると奥から・・・
話のつづきです(笑)
大上シェフ
すると作文を提出しようとしたら奥から不動産屋さんのオーナーさんがいらっしゃり「じゃあ一度見てみますか?」と言ってくださったんです。実はこの物件のオーナーさんでもあられて。そのままトントン拍子で物件を借りて2019年の10月にお店をオープンすることになったんです。
諦めなければ夢は叶う
こうやって大上武紘は諦めず自分の生まれ育った
街に念願のお店を開店させる夢を叶えた。
2019年10月7日OPENから程なくしてその味が
認められ予約でいっぱい日が多いほどの人気店に。
が!しかし!
コロナウイルス感染拡大。
現在もテイクアウトのみの営業を続けている。
しかし大上シェフからこんな話が。
大上シェフ
いや。こうなってしまったからにはこの流れをばねにしたいんですよね。テイクアウトの営業を続けているのもお世話になっているお客さんや特に仕入れ先の業者さんや生産者の皆さんは経済が止まってしまうと本当に大変だと思うんですよ。できる事はやるという姿勢で今後も頑張りたいです。
daikanyama Take テイクアウト
なんかこの話の流れからのお店の紹介って
朝の番組でやってる青汁の宣伝みたいですがw
現在daikanyama takeはテイクアウトのみの営業。
人気は「前菜の盛り合わせ」2500円
オーダーする方法は当日でもOK!
daikanyama takeのSNSか電話にて
・take facebookページ
・take Instagramページ
daikanyama Take
東京都渋谷区代官山町13−6
☎ 03-6455-2282
テイクアウト予約方法
緊急事態宣言中は、16時までのご予約で、17時~19時にお店でお渡しするテイクアウトのみの営業とさせていただきます。
2月15日(月)20:00~21:30
「恵比寿の学校」オンライン授業
今回記事に登場して頂いた「代官山take」のタケさんがイタリアトリノで修行していた時に教えてもらった本場の「フォカッチャ」の作り方とイタリアの伝統的な酢漬け料理「カルピオーネ」を教える授業を行います。予約の取れないイタリアン 「代官山take」大上武紘シェフ直伝!フォカッチャを極める https://peatix.com/event/1809440