深夜23時過ぎに仕事を終えて
恵比寿新聞事務所近くの
恵比寿ビール坂を歩いておりますと
2階から「ちょっと!ちょっと!」と
手招きする人がいました。
最近目の視力がかなり低下しているので
誰かな?と目を凝らしてみてみると
手招きしているのは
恵比寿の和食居酒屋「将」の将さんでした。
将さんといえばこの辺では知らない人がいない
恵比寿ビール坂で言うと老舗の和食居酒屋さん。
和食居酒屋なのに鮨が出てくるという店で
腕は天下一品。変わった創作の逸品もあり
いつか将さんに取材したいな~と思っており
呼び出したのも「いつ取材やるの?」って
話だろうなぁ・・・と思っていました。
丁度カメラも持ってるし。話でも聞こう。
しかし、いつもの将さんと
様子が違うんです。
恵比寿新聞
あれ?将さん今日なんかいつものモードとちがうじゃないですか?いつもの「俺に一発や◎せろ~!」って!・・・・あれ?
将さん
今日はちょっとお願いがあるんだけど。
恵比寿新聞
あっ!取材の件ですよね!なかなか打診できなくてすみません。
将さん
店、辞めることにしたんだよ。
恵比寿新聞
え!?・・・・ってまた~(笑)冗談ですよね?
将さん
いや。ほんと。まじ。
恵比寿新聞
えーーーーーーー!!!????
将さん
でさ・・・折り入ってお願いがあるんだけど
最後はお前に
書いてもらいたくて
目を見て将さん本気で
お店を辞めるんだとわかりました。
恵比寿新聞
いや・・・俺が看取るのは荷が重すぎますよ・・・
将さん
さっきお前が坂の上から歩いてくるのを見て「そういう偶然じゃなくて必然ってあるよな」って思ってさ。実は来週(今月いっぱい)で閉めるんだよ。
恵比寿新聞
え!?・・・来週??ちょっと早くないですか?この閉める話は誰かにしてるんですか?
将さん
いや。まだ。誰にも。
恵比寿新聞
・・・・いや・・・まずいですよ。。
将さん
だからお前に頼みたくて。たのむ!
恵比寿新聞
ん~・・・わかりました。・・・いや・・・信じられないな・・・
料理に目覚めた瞬間
恵比寿新聞
では。取材を始めます。・・・いや・・・まじでうちなんかで良いんですか。
将さん
いいから。はじめて。
恵比寿新聞
わかりました。将さんがこの世界に入ったきっかけってなんなんですか?
将さん
昔実家の近く(世田谷)でおやじによく連れていてもらってた「すし屋の中川」ってお店でアルバイト働くことになったのがきっかけ。「和食の職人かっこいいなぁー!」と思って。そこが俺にとっての飲食業の出会い。今でもあるよ。
恵比寿新聞
将さん世田谷出身なんですね。職人のかっこよさに憧れたんですね。その後は?
将さん
そのあと日比谷の今ペニンシュランホテルになっているところで「日比谷パークビル」に有った「すし清」っていう寿司屋さんに就職したんだよね。でも思い描いていた現場と全然違って。最初の1年は出前・洗い物。みんなが想像する超下積みってやつ。
恵比寿新聞
あー。良くある話ですよね。料理人になりたくて飲食店に就職したのに全然包丁握らせてくれないみたいな。
将さん
そうそう。したらさ。ずーーっと出前と皿洗いしてたんだけどある日上の職人さんで謀反が起こって職人さんが一気に辞めてさ。誰も居なくなったから急に「お前が包丁握れ」って言われて(笑)
恵比寿新聞
えー!?wなにそれw
将さん
そこですべての和食のイロハを覚えたんだよ。超ラッキーと思ったよね。5~10年徳したなと思ってがむしゃらにやったね。
鮨職人から和食の世界へ
恵比寿新聞
その後どうしたんですか?
将さん
すし清は鮨と天ぷらの店なのよ。このままじゃ「すし清」のノウハウしかたまらないから欲が出て、野菜とかの料理の事をもっと知りたくて人形町の「よし梅」って和食屋さんに務めたんだよね。
恵比寿新聞
へぇ~名店じゃないですか!
将さん
魚だけじゃ詰まんないから野菜も知りたくて。食べ歩きして「よし梅」いいなぁ~と思ってさ。でも働いたんだけどあんまりうまくいかず、すぐに六本木の鳥居坂にあった「春秋(しゅんじゅ)」っていう和食屋で働いたんだよね。高級居酒屋の走りのお店でね。
恵比寿新聞
バブルも終わってからのそういうお店結構増えましたよね。
将さん
そうそう。丁度バブルが終わった頃かな。そこで1999年まで働いて1年間お店を探しながら転々として2000年に「恵比寿 将」がオープンするんだよね。
恵比寿に決めた理由
恵比寿新聞
将さん。どうして恵比寿にお店出そうと決めたんですか?
将さん
なんで恵比寿に決めたかって、当時お店が全然なかったのよ。今と比べて。しかもガーデンプレイス出来たでしょ?しかも昔は山手線と日比谷線しか走ってなかったけど埼京線や湘南新宿ラインも恵比寿で停まるって話もあって。
恵比寿新聞
なるほど。ほかの街に比べて飲食店少ないけど街が発展していくって先読みしたんですね。
将さん
その当時テレビで「料理の鉄人」って流行ってたんだよ。しかも恵比寿にはイタリアンの鉄人もいるし、和食の鉄人もいるし、だったら恵比寿で勝負しようって思って殴り込みかけたのよ。
恵比寿新聞
和食「吉住」さんとかリストランテMASSAの神戸さんとか「天現寺 笹岡」さんとか料理の鉄人沢山いらっしゃいますもんね。
将さん
当時27歳だったのね(笑)俺(笑)商店街の人に「30です」って嘘ついてお店OPENしたからね。なめられたくなくて。多感な時期ですよ。
念願の自分の店をOPEN
恵比寿新聞
当時2000年の恵比寿ビール坂って。どうでしたっけ?
将さん
たった17年だけどこっちのほう何もなかったよね(笑)久美さんとちょろりとお寿司の博一さんぐらいじゃない?飲食店って。あとやおさくさんだね。
恵比寿新聞
そういえばそうですよね。あと笛吹っていうたこ焼き屋さんとかぐらいですよね。最初は大変だったんじゃないですか?
将さん
今やネットやSNSが盛んだけど、当時お店を知ってもらうには「自分でお店に足を運んであいさつする」ぐらいしか方法なかったからね。
恵比寿新聞
あぁ~。わかるような気がします。今やデジタルネイティブな世代がお店をやっている中でちょっと昔は「お店をOPENしたらまず近隣のお店にあいさつにいく」ってのが恵比寿では鉄則でしたよね。それで今でも恵比寿って飲食店同志仲が良いってのもありますよね。
将さん
そうだね。今はそんな事しなくてもネットやSNS頑張ればお店知ってもらえる時代だからね。
最初は店名が違った
恵比寿新聞
そんな感じで「恵比寿 将」がOPENするんですね。
将さん
実はOPEN当時は店名がちょっと違うかったのよ。
恵比寿新聞
え!?なんだったんですか?
将さん
当時京都の「おばんざい」って文化が東京にはあまりなかったんだよね。机の上にたくさん大皿料理を並べて選んで食べるってあの「おばんざい」。だからOPEN当初は「おばんざい屋 将」って名前だったんだよ。
恵比寿新聞
へぇ~。今や結構そのスタイルって東京に浸透してるけど。はじめは「おばんざい屋」から始めたんですね。でもお客さん来なかったら「おばんざい」ってロス多いですよね。
将さん
そうなんだよね。でもね。そのあと商店街に入って商店街の「Mプリント」の茗荷原さんとか「居酒屋 久美さん」や「博一さん」や「やおさく」のお父さんや美容室の「プレジール」の多田さんとか本当に可愛がってもらって本当に助かったよ。あの人たちに助けてもらわなかったら今はないね。
閉店の理由
恵比寿新聞
では。一番聞きづらい話に入ります。閉店の理由は?
将さん
実はね。昔からもう決めてたんだよ。20年ぐらいやっていっぱしのお店って思ってたから20年やったら一区切りしようと。
恵比寿新聞
いや。まだ17年じゃないですか!
将さん
もうね。17年も20年も変わらないよ(笑)でもそろそろだなと思って。
恵比寿新聞
という事は次の構想もあるってことですか?
将さん
もちろん。次やりたい事もあって、あとは場所かなと思ってる
感謝の気持ち
恵比寿新聞
将さんがビール坂から居なくなるって・・・想像できない。。。ビール坂祭りとかどうするんですか?・・・
将さん
そうね。寂しくなるよね。
恵比寿新聞
なんか泣けてきた・・・でももう思い起こすことはないんですね。
将さん
もう感謝しかないね。特に商店街の皆さんにはこの17年本当にお世話になったし、直接伝えるのも恥ずかしいからさ、今回協力してもらって記事にしてもらったけど。ありがとね。本当に街の皆さんに感謝しかないよ。
恵比寿新聞
しかも今日が20日だから来週までってことですよね。
将さん
そうだね。長いようで短かったな。本当にありがとう。
という事で閉店記事を書くって
本当に嫌なんですよ。いつも居るから
当たり前が無くなるって本当につらい。
将さんの性格ですから面と向かって
お店を畳む話を切り出せずに今まで
誰にも言わなかったのも
将さんらしいというか。。
寂しくなるな・・・・
とにかく17年間お疲れ様でした。
「恵比寿 将」は来週いっぱいで
17年の歴史に幕を閉じます。
常連さん・お世話になった方
是非足を運んで最後の労いを。
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恵比寿 将
東京都渋谷区恵比寿4-10-8 恵比寿ビル2F
03-3446-5606
営業時間 18:30~24:00(日曜定休)