渋谷橋・恵比寿橋を昔と同じアングルから撮影してみた

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明治通りと駒沢通りが交差する「渋谷橋」。

そしてタコ公園の横の「一本橋」の隣の橋「恵比寿橋」

今日はこの「渋谷橋」と「恵比寿橋」の古い写真と同じアングルで撮影してみた時に

今そして昔を比べてみるという歴史比較記事です。

こちら皆さんよく御存じの「渋谷橋」

歴史は古く江戸時代からあったとされるこの橋。

恵比寿なのに何故に「渋谷橋」なんでしょうか?

そもそもこの橋が必要になったのは渋谷川を渡る橋なので「渋谷橋」なのかと

思いきや、だったら渋谷駅付近にあってもよさそうなネーミング。

実は江戸時代から幕末にかけて今の渋谷駅付近は農地・牧場だったそうで

もっとも広域の渋谷地区で栄えていたのが「広尾商店街付近」だったそうで

今の宮益坂、道玄坂はその後に街化されていったそうです。

広尾を中心に徐々に恵比寿の方へと町屋は拡大。なので今の渋谷より恵比寿側の方が

栄えていたためこの橋が「渋谷橋」と名付けられたとか。

こちらは昭和13年の時の渋谷橋の写真。皆さん見えますか?仁丹の看板がある

こちら「マツオ薬局」と書かれた看板。こちら現在でも「マツオ十字堂薬局」として

営業されています。素晴らしい。では現代の写真と比較。

結構コレ撮るの大変だった(TT)

車にひかれるかと思いましたわよ。プチころされるかと思いましたわよ。

さて、お次は昭和35年頃の渋谷橋交差点。

この頃は明治通り沿いを都電が走ってたそうで、こちら右側に中目黒方面からの路線と

そのまま明治通り沿いを走る都電との合流地点だったそうです。

大正時代末期から昭和初期にかけて玉電の路線として開通した物だそうで

昭和23年に東京都に譲渡され都電になったそうです。その後昭和44年アポロ11号が月にいった年。

三軒茶屋から下高井戸線をのぞき(今の世田谷線)廃止。その数日後東名高速道路が全線開通。

一家に一台。車の時代に突入していったんですね。さて時代は進みまして昭和53年の頃の

渋谷橋陸橋から撮った写真。おぉ~なんかちょっとづつ現代の渋谷橋の面影が出てきていますね。

そして全く同じアングルから撮った写真はこちら

どうこれ!?すごくね?

いや~キャメラマンの腕がいいからね~。自分でもほれぼれするぜ(撮影時間30分)

しかし昔この場所で同じ位置から撮られていた方がいらっしゃって

同じ位置に立っている事になんだか郷愁が沸いてしまいました。

この昭和53年。今から35年前に有った出来事を見てみるとなんとですよ!

『暴れん坊将軍』放送開始

した年だそうな。え?きいてない?

しかもですよ!奥さん!

キャンディーズが普通の女の子に戻った

らしいです。南海キャンディーズじゃないぜ~。

そしてこの年に大ヒットしたのがこの曲。


さて、さて、お次は恵比寿橋の話に移ります。

恵比寿橋は1901年。今から112年前。当時の日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)が

加計塚小学校前に製品搬出路を通し、赤煉瓦アーチ状の橋を築いたものだそうで

この坂を上がるとそうです。ビール坂に通じてるんですね。

昔はビールを運んでいたのでしょうね。

この写真は恵比寿橋開通の日の写真。明治34年ですからね。

そしてこちらが昭和49年の写真。今から39年前ですよ。

今はこんな感じです。

すでに原型をとどめていない

時代と共にどんどんと変わっていくんですね。数年前撮った写真の風景と

もう既に今では違いますもんね。変貌を遂げる恵比寿。しかししっかり恵比寿新聞は

アーカイブしちゃうもんね。
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