今も昭和の香りを強烈に発する名所
「恵比寿 地下 味の飲食街」。
一見さんは常に敬遠され、ここを大人として
下っていくには約3年~5年はかかると言われている
伝統のスナックやパブなどがギュギュっと
コンパイルされている地下街がある。
エビダン・エビージョと今流行の情報誌で
もてはやされる「恵比寿」なのですが
実際の恵比寿はこんな感じのテイストが
今も脈々と地下を通じて流れている気がします。
知らなくていいこともあるのですが
ある意味これも現実なのであります。
そんなディープな「味の飲食街」の奥に
赤い提灯がぶら下がっております。
誰しもこういう感情ってありませんか?
「あまり教えたくない自分だけのオアシス」
まさに恵比寿新聞的に言うとここなんです。
古くから知る料理人2人がこの場所で
恐ろしくリーズナブルで高品質の料理を
密かに「赤ちょうちん」の皮をかぶって
提供しているんです。
では中をのぞいてみましょう。
゚;ж;゚;)゙;`;:゙;;゚;ブッ.
こちら絶賛お着換え中の放漫ボディーの
彼がノンベエオーナーの岡部君
通称「だいちゃん」
岡部
めっちゃ着替えるところも撮るんですね。
恵比寿新聞
はよ着換えてw
岡部
「生着換え」って高感度あがりますかね?
恵比寿新聞
あがるわけないじゃんw
岡部
そっかー。。
岡部君との出会いは恵比寿ビール坂にあります
名店「Toliuo(トリウオ)」で彼が店長をしている時。
もう6年~7年の付き合いになります。
そして厨房の奥で真面目に
今日の仕込みをしているのは
長谷川さん。通称「はっさん」
恵比寿新聞
はっさんはいつも真面目だな~。
はっさん
いやぁ~そんなことないですよ^^
恵比寿新聞
常に半笑いだしね。
はっさんとの出会いもかれこれ6~7年。
彼も恵比寿ビール坂にあった「とりを」という
お店の店長をやっていた頃からの付き合い。
恵比寿新聞を始めてはや9年。
吟味に吟味を重ね取材したこの2人の
腕利きの料理人が共に力を合わせ同じ店を
切り盛りしている取材をするとは。。
まぁ恵比寿新聞らしいと言えばそうなのですが。
しかも今回はなんと。飲食店の取材なのに
一切料理の出てこないという何しに行ったんや!
という構成でお送りします。
そもそもこちら赤ちょうちんノンベエが
生まれたきっかけは独立を志願しお店探しを
1年以上続けてきた岡部君に相談を受けていた時。
たまたま長谷戸小学校のPTAの会長の種さんの
知り合いが現在のこの場所でお店をやっていた
「居酒屋 遊」さんがご病気でお店を閉める
という話を聞きつけ岡部君に紹介し念願のお店
を持つことになったという所から話は始まります。
恵比寿新聞
本当に地元の人と仲良くしておいて良かったね^^
岡部君
はい。もう死ぬんちゃうんかな~ってぐらい店探しまくって、もうアカンってなってた時の話だったんで。良かったです。
恵比寿新聞
しかも前のお店の「居酒屋 遊」さんにもとてもよくしてもらったんだって?
岡部君
良くってものじゃないですよ!もう足を向けて寝れないぐらい。ありがたいっす。
恵比寿新聞
あの時に色々相談に乗ったけど凄く印象に残ってたのは「お母さんがやってた居酒屋を復活させたい」って話からだもんね。
岡部君
そうなんですよ。うちは神戸で母親が「のんべえ」って居酒屋やっててそれを自分なりに復活させたいと思ってやっと夢が叶ったんですよ。
地元の人が集まる居場所
恵比寿新聞
夢が叶ってからどうですか?
岡部君
そーっすねー。。最初は全然お客さんが来なくてボロボロで閉まるんちゃうかな?と思うくらい大変でしたけど、やっとです^^
恵比寿新聞
良かったよねー。目指している方向に忠実に行ったからでしょ!
岡部君
そうっすね。地元の人が安心して来れるような「赤ちょうちん」を目指してたんで。そうなってきてるかな~と思ってます。
恵比寿新聞
しかも赤ちょうちんの値段なのに素材も味付けも調理も抜群だし。みんな教えたくないと思うよ。
岡部君
そんなこと言わんとってくださいよー!バリバリ宣伝してほしいw
恵比寿新聞
そもそもToliuoの時の取材で「なぜ料理に目覚めたの?」って聞いてなかったけどどうして?
岡部君
ふぅ~ん・・・んー。実は僕中卒なんですよ。高一の時に深夜テレビが大好きすぎて朝方まで見て起きれなくて「2時限目から出るの嫌やわ~」ってなって学校の勉強にもついていけなくて辞めたんですよ。
恵比寿新聞
え!?お母さんの反応は?怒ったんじゃない?
岡部君
いや。それが逆で「そうかぁ~辞めるんかぁ~」って。そっとしてくれたんですよ。そっから2年間ぐらい引きこもりになって体重が100キロになってw
恵比寿新聞
えー!?典型的な「最悪パターン」じゃん。
岡部君
そんな引きこもり生活してたら友達が引き上げてくれたんですよ。「俺ダイエーでバイトしてるから一緒にやらへん?」って。それで。
恵比寿新聞
それで?
岡部君
野菜担当してましたw
恵比寿新聞
でも良かったじゃん!そんな友達がいなければ今の岡部君居なかったと思えば。
岡部君
今思うとめっちゃ感謝ですね。でもそのあとバイトを辞めてパチプロ生活が続いて。20歳の時にパチプロ辞めて回転すしやでバイトしたのがまず最初の食の仕事ですね。
モテたくてイタリアン
恵比寿新聞
典型的なダメパターンだったけどその後は?
岡部君
20歳で実はまだ童貞で(笑)モテたくてイタリアンで働こうと思って。
恵比寿新聞
めっちゃ安易wで?モテた?
岡部君
いやwぜんぜんwでもその時に働いていたイタリアンの店「ニョッキ」って所なんですが先輩に賄い作れと言われて、それまで回転すしやで働いていたけど料理なんてしてなくて、いきなり作らされて出した料理が「え?初めて作ったの?美味いよ!もしかしてセンスあるんじゃないの?」って言われたときに「あっ。料理やってみよう」と思って。
恵比寿新聞
へぇー!岡部君の「スイッチ」ってそこだったんだね。
岡部君
はい。なんか褒められたの嬉しくて。食べてくれてるのを見てうれしくて。でもまたそのお店を辞めてパチプロに戻ったんですけどね(笑)
恵比寿新聞
最悪やん。。
岡部君
そこから3年パチプロ生活してたんですけどやっと彼女もできて。でも。こんなパチプロ生活彼女が不安になって、ピザ専門のイタリアンで働くことにしました。
toliuoとの出会い
岡部君
まぁそのイタリアンは3年続いたんですけどそこも辞めまして。
恵比寿新聞
どんだけやめるねんw人間的に問題あるんじゃないの?(笑)
岡部君
いやいや。それでふと求人募集の紙に「神戸toliuo2号店オープニングスタッフ募集」ってのがあったからそこに応募してはいったんですよ。したら・・・
恵比寿新聞
したら?
岡部君
オープニングの時の店長が辞めていきなり僕が店長になって(笑)わけわからへんwと思いながらやってたらなんかお店が軌道に乗り始めて結構いい感じになり。当時店長だったのに給料安かったから社長に給料上げてと交渉したんですが喧嘩して1年で辞めましたw
恵比寿新聞
また辞めた!w
岡部君
それで神戸に居づらくなって、明石のスペインバルで働いてたんです。
人柄を買われて
岡部君
当日そこで働いていたスペインバルの常連さんの空調屋の社長さんから「俺と一緒に働かへんか?仕事は教えらえるけど、お前の人柄は誰にも教えられへんから。すぐ来い」と言われて。そこで一回料理辞めたんですよ。
恵比寿新聞
え!?急展開。で空調屋さんに就職?
岡部君
はい。スーツ着て。でも全然自分に合わなかったんですよ。ちょっとうつ状態になる感じにまでなり、結構働いていたんですがたまたま会議が終わってフラッと「トリウオ」に行ってみようかなと思って軽く飲みに寄ったんですよ。そしたら当時一緒にtoliuoで働いていた後輩が店長やってて「岡部さんスーツ似合わないっすね~しかもなんですか?そのショボい顔。そんなしんどいんだったらもう一度戻ってきて一緒にやりましょうよ?」って言ってくれて。
恵比寿新聞
それで?それで?
岡部君
その時空前のtoliuoブームだったんですよ。神戸が。そんな時期に戻って来いと言われて「また料理やりたい」と思ってて、色々決心して空調屋の社長にも辞めますと筋を通して、「戻るわ!」と伝えたら後輩に「東京ですけどいいですか?」って言われて(笑)それで東京のtoliuoの支店を出すメンバーとして恵比寿にたどり着いたんですよ。
一方はっさんは
恵比寿新聞
はっさんはなぜ料理の道に?
はっさん
実は親が町田でレストランパブを経営していまして。父親と父の兄弟で「レストラン ウイング」という兄弟で羽ばたいていこうみたいな名前でお店をやっていまして。
恵比寿新聞
小さいころからお父さんの背中を見て育ったんですね。
はっさん
料理はもう若いころからやろうと決めていたので新宿料理師専門学校で1年勉強してその後新横浜のプリンスホテルで働いていたんですけど、在り物の調理しかできなくて「もっと料理のできるところに行きたい」と思って横浜元町のフレンチ「修廣樹(シュウコウジュ)」に入ったんです。
恵比寿新聞
今もその店はあるんですか?
はっさん
もうないですね。。とにかく古い料理場だったんで本当に踏んだり蹴られたり・・・辛かったですね。、実家のレストランの親父の兄弟が辞めるという事になって一旦実家のレストランにヘルプで戻るために2年務めたお店を辞めたんですよ。
オーストラリアの生かした店員
はっさん
実家のレストランに戻って働いていたら急遽立ち退きにあいまして・・・・お店を閉めることになり。。どうしようもないから近くにある町田のイタリアンで働かせてもらい。
恵比寿新聞
いきなりですね。。立ち退き。。その後は?
はっさん
そのイタリアンで5年働かせてもらったんですね。で。だいたいお店が終わると飲みに行く居酒屋があって。そこで働いているオーストラリア人と日本人のハーフの店員さんが本当にイケててかっこよくて。物凄いコミュニケーション能力で「うぁすごいな」と思い。そういえば料理ばっかりで「サービス」側を学んでいなかったなぁ~と思い、そのお店で働かせてもらう事になったんです。自分でお店を持つなら料理だけじゃなくてサービスも勉強しなきゃと思って。
恵比寿新聞
そのお店まだありますか?
はっさん
はい。「モグラ6段」というお店で地下に降りていく凄く変わった造りのお店なんですが。そこで働いていたらもう一店舗出すよ!という事になり、そのお店の名前が「町田観光」って名前のお店で(笑)
恵比寿新聞
お笑い系の店名多いですねwそれで?
はっさん
町田観光で料理からサービスから全てやらせてもらって結構軌道に乗り始めてたんですが、色んな事情でお店も閉めるという事になり。その時に下北の「とりを」を紹介してもらって入ったんですよ。
惨敗店から繁盛店へ
恵比寿新聞
「とりを」と言えば下北沢でも有名店ですよね。
はっさん
実は最初はそうではなくて、もう少しでダメになるから立て直してくれという話で。なぜならその当時社員さん1人で切り盛りしているような状態で。基礎から立て直してそこで足掛け5年。お客さんもしっかりと来るようになって、2号店を恵比寿に出すからという事で恵比寿ビール坂にたどり着いたんです。
恵比寿新聞
立役者じゃないですか?その恵比寿ビール坂に来た頃、岡部君たちと知り合ったという事なんですね。
はっさん
そうですね。お店が終わって朝まで飲んだり、夢の話をしたり、お店の大変な時に相談に乗ってもらったり。
恵比寿新聞
そして今があるんですね。
支えてくれた恵比寿の人たち
岡部君
もうめっちゃ嫌だったんですよ。東京に来ること自体。最初はホンマ最悪やと思ってたんですけど、恵比寿の皆さん非常にフレンドリーで(笑)やおさくのお父さんや商店街の多田さん。ルナルナの鈴木さん。みんなよくしてくれて嫌いだった東京が好きになって。
恵比寿新聞
そういう意味で「恵比寿」って横のつながりが強いというか、特殊な街だよね。仕事とプライベートがガッチリ一緒の人が多いっていうか。
岡部君
商店街に入れて良かったですね。一気にお店の人たちと仲良くなって、今でも一緒に遊んでますけど、あれがなかったら今頃しっぽ蒔いて神戸に帰ってましたよ。
恵比寿新聞
はっさんはどうですか?
はっさん
そうですね。そういう意味で恵比寿って特殊なところだと思います。はじめ下北沢の「とりを」の常連さんからは「はっさんは恵比寿に合わない」って言われていたんです(笑)僕いつもねじり鉢巻きで威勢が良くてみたいな下町根性バリバリなので、下北沢の人から見ると恵比寿って「こじゃれてる」とか「変なオシャレ感」にしか見えなかったのかもしれないんですが、恵比寿に腰を据えてみると凄い下町なんですよね。
恵比寿新聞
でもこうやって脈絡もなく神戸から降り立った中卒引きこもりパチプロ料理人の岡部君と実家がレストランでお店を渡り歩いたはっさんがまたここで表現してるって不思議ですよね。
岡部君
引きこもり言うなwでも本当に不思議っすね。あっ。そろそろ魚の仕入れ行きますけど一緒にいきます?
恵比寿新聞
どこに?
岡部君
いつも魚は恵比寿ストアの魚清さんで買うんですよ~。
魚清さん
はぁ~い。ドラちゃん~。今日は何にするぅ~?
恵比寿新聞
ドラちゃん????
岡部君
あぁ。僕恵比寿ストアでは「ドラちゃん」って言われてるんですよ(笑)ドラえもんに似てるからw
よく考えてみれば、恵比寿新聞もそうでした。
何も知らずにたどり着いた「恵比寿」。
でもこうやって地元の人に可愛がってもらって
色々と相談に乗ってもらってつながりができて
恵比寿が好きになったなぁ~と。
恵比寿になじみまくっているドラちゃんを見て
やっぱりこの町がぼかぁ~すきだなぁ~と。
オシャレだけが先行しがちな恵比寿ですが
ゆっくりと雲が流れるように佇んでみると
こんな景色が沢山あるんです。
ついでに紹介ですがノンベエは今のところ
恵比寿の居酒屋レベルで言うと「金賞」です。
新鮮な魚。そして日々養鶏所から直接送られてくる
新鮮な鶏を使用した料理。そしてなんと言っても
地元民がうなるこのリーズナブルさ。
恵比寿新聞は勝手に名物だと思っている
「ナポリタン」などなど。フラッと行って
岡部君やはっさんに話しかけてみてください^^
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ノンベエ エビス
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