「苦労は買ってでもしろ!」と言いますが
実際にコンビニで「苦労¥1200円」って
売ってたら買わない恵比寿新聞です。
何の話!?w
本題
「恵比寿」という街は住民22000人に対して
働いている人の数がなんと約14万人いる街。
「働く人にフォーカスを」と天の思し召しがあり
恵比寿の企業を取材させていただきその企業の
良さを是非恵比寿でも発揮して頂きシナジーを
起こしていこうよ!と「シナジー」の意味を
わからないまま使っている企画!
株式会社トランク
訪れましたのは恵比寿西の五差路すぐの
恵比寿で唯一の「ファッション通り」と
言われている名前のない坂に2018年12月に
お引越ししてこられた「株式会社トランク」さん。
広報さんがなんと!恵比寿新聞の愛読者で
「取材かもーん」というお声をかけて頂き
今回取材させてもらう事に。どんな会社!?
今まさに「家出しますっ」って親元を離れ
不安な気持ちを抑えているとなぜだなんだか
荷物詰めてる最中半笑いになってしまっている
こちらが広報担当の井上さん。
恵比寿新聞
家出ですか。。お察しします。
井上さん
ここ会社ですw
恵比寿新聞
あっ。そうでした。では何をしているのですか?
井上さん
この量の荷物を全国で月額500円から預けられるサービスを展開している会社なんです。恵比寿新聞さんが取材に来るのでわかりやすく説明するために表に出しておいたんです。
恵比寿新聞
家出かと思いました。
宅配型トランクルーム
恵比寿新聞
結構な量の荷物が預けられるんですね。
井上さん
TRUNKの専用ボックスの大きさは縦48cm:横56cm:高さ36cmとかなり大きい箱です。箱いっぱいに詰めていただいて、重さは20㎏が目安です。家にあるダンボールでも預けることができますよ。
恵比寿新聞
ほぉー。確かに東京のマンションは狭いですからねー。しかも捨てていいものなのか、いけないものなのか判断できない代物とか、丁度季節の変わり目に服の入れ替えとか、家で荷物がかさばってて、あれ見るとげっそりしますよね。そういうニーズに答えるサービスなんですね?
井上さん
それだけじゃないんですよ!
恵比寿新聞
いいよー!ショップチャンネルっぽくなってきたー!なになにー!?
井上さん
お預かりしたモノ(アイテム)は温度・湿度が管理された快適な環境で管理します。また1点ずつ高解像度で撮影し、アプリ内の「マイトランク」から見られるようにアルバム化されます。アイテムごとにカテゴリやコメントなども付けられるのでカンタンに管理できるんです!(30点までこちらで撮影します、30点超えた場合は29点+1まとめて撮影)
恵比寿新聞
よ!コーポレートサイトに載ってた説明文そのまま読んだw
井上さん
それだけじゃないんです!!!!
恵比寿新聞
いや・・・井上さん。そのパート(それだけじゃないんです!)って言うの終わったから。。壊れた玩具みたいになってる・・・
井上さん
違うんです!恵比寿新聞さん!本当にそれだけじゃないんです!
恵比寿新聞
え!?どういうこと!?
アイテム販売可能
恵比寿新聞
どういうこと!?「お預かりしたモノ(アイテム)は温度・湿度が管理された快適な環境で・・・」ってまた言い出したら下段回し蹴りですよ。
井上さん
実はさっき預けたアイテムは高解像度の写真でいつでもアプリから管理できるって言ったじゃないですか?
恵比寿新聞
言いましたね。
井上さん
なんとその自分が預けたアイテムを「TRUNKのマーケット」というウェブサイト・アプリから簡単に販売することができるんです!
恵比寿新聞
え!?----ほんとにーーーー(わざとらしく)
井上さん
そうなんですよーーー!!!!
恵比寿新聞
すごーーーーいっって・・・・なにこの提灯記事(笑)
井上さん
すみません。。付き合ってもらって。
恵比寿新聞
いいんですよ。提灯記事のひとつやふたつ。あっ。まてよ・・・・
井上さん
え!?
恵比寿新聞
いわばマーケットはメルカリみたいなサービスですよね?それとトランクルームが一緒になったような。
井上さん
そうですね。売れた後の梱包や発送もトランクが代行して行うので、カンタンに売ったりあげたりすることができちゃいます!
恵比寿新聞
めっちゃ良い事ひらめきました☆是非社長にどうしてこのサービスが始まったのか聞いてみたいです!
今までにない胡散臭いタイアップ記事
みたいなテンションになりましたが、
実は良いこと思いついたんです。
その前に社長ってどんな人かなぁ~と思い
インタビューさせてもらったんですが、
これがまためっちゃ濃い話で。。
この一言から話が凄い方向に・・・
恵比寿新聞
社長!しゃちょう!!!!恵比寿新聞です!!どうも!!恵比寿新聞です!!!
松﨑社長
あー!!はっはっは!!どうもどうも!!恵比寿新聞さん。我々恵比寿新参者なので色々よろしくお願いしますよー!
恵比寿新聞
もちろんですよ!そういえば社長。いきなりですがどちらのご出身なんですか?
松﨑社長
え!?そこから話すんですか?えーっと・・九州の福岡県飯塚市ってところですね。
恵比寿新聞
ほ!福岡!!!で!!東京に出てこられたのはおいくつの時?
松﨑社長
16歳の時ですね?
恵比寿新聞
え!?まさか井上さんと同じ「家出」じゃないですよね?
井上さん
わたし違う(笑)
松﨑社長
いや。。実はそうなんですよ。。家出で東京から上京してきまして。。。
井上さん
だからわたし違う…
弟の貯金箱
恵比寿新聞
え!?そこを詳しく!!!!!
松﨑社長
ん~。。本当にそんな話するんですか!?
恵比寿新聞
恵比寿新聞は「人をアーカイブする新聞」なので是非聞きたいです。
松﨑社長
いいのかな・・・長いですよ~^^:実は結構うちの父親は厳格で厳しく、所謂星一徹のような「昭和の頑固親父」そのものだったんですよ。その当時は若かったんですべてがうっとうしくて、高校中退した16歳の夏の日父親と喧嘩になり「出ていけ!」と言われたんですよ。多分父親は僕を試したんだと思うんですよ。そして次の日に出ていくわけなんですが。。
恵比寿新聞
その日の事覚えていますか?
松﨑社長
鮮明に覚えていますね。次の日の朝に本気で出ていくことを決心して母親がそれに気づいて父親と大喧嘩を始めたんですね。母親は止めたかったんだと思うんですけど、「これだけ持っていきなさい」ってハンカチを渡すんですね。中には10万円入っていて。
恵比寿新聞
もう、まさにドラマに出てくるようなシーンですね。
松﨑社長
そのまま家を出て、福岡の田舎の単線なんですが駅まで行ったんですよ。当時付き合ってた彼女にもそれを伝えて駅に一緒に行って。
恵比寿新聞
あぁ~ん💛もうそれ、電車のドアがぷしゅーってしまって電車がゆっくりとホームから出発するのを彼女が走って追いかけていくアレですね♡
松﨑社長
と思ったら実は僕には弟がいるんですが、弟が僕が家出することを知って走って駅まで来て、彼女もいるわ・・・弟もいるわでなんか・・・・変な雰囲気になっちゃって(笑)
恵比寿新聞
( ;゚;ж;゚;)゙;`;:゙;;゚;ブッ.
松﨑社長
でもね。弟が自分の机の上にある貯金箱を持ってきて「これ。」って渡してくれたのを今でも忘れられない思い出ですね。
底辺を見た東京
恵比寿新聞
あては合ったんですか?
松﨑社長
いや。なかったんですよ。とにかく東京駅に行けば何かある!と思って東京駅で降りて、歩いていたら「大手町」とか町名が変わっていくのが怖くて・・・・どこまで東京は続いているんだろう?って。田舎者で知ってる地名と言えば「原宿」か「上野」ぐらいなんですよ。結局東京駅から近い上野にたどり着いて。上野と言えば「アメ横」じゃないですか?アメ横に着いたらめっちゃ戦後みたいじゃん!って安心して。とりあえず働かなきゃという事で上野にある定食屋さんに片っ端から「お皿洗うんで働かせてくれ」って言ったら3軒目でOKもらえて^^
恵比寿新聞
うぉー!すげー!!!!でも・・・泊る所は?
松﨑社長
あっ。店ですね(笑)お店なんで座布団並べて寝てましたね。まぁそのまま定食屋のおばちゃんが素性とかも聞かなくて働かせてくれたんですが、やっぱり「変な奴拾っちゃったなぁ~」っていう雰囲気は感じていたんですけど、ある日おばちゃんから「この人について行きなっ」って言われて。まぁ僕も疑うことなくついて行ったんですけど。。
恵比寿新聞
ま・・・まさか・・・・
松﨑社長
着いたら土方のタコ部屋に・・・(笑)当時の幕張メッセが丁度開発の時でどうやらそこの開発をする土木作業員の人たちが生活するタコ部屋だったみたいで、「工事の仕事やってここに泊まりなさい。したらお金あげるから」って言われて(笑)
恵比寿新聞
身売りされたんですねwドナドナw
松﨑社長
でもね。ラッキーだと思ったんですよ。お店の泊まり込みからタコ部屋に昇進したわけですから^^まぁそこで働くわけなんですけど、今でいう「訳アリ」の人たちが多い職場で、、、
恵比寿新聞
訳アリ???漫画に出てくるような、歯がない・指ない・お金ないみたいな感じですか??
松﨑社長
そうそう!笑。よくご存知ですねー。本当に面白い人たちばっかりで、2ヵ月ほど働いたぐらいの時にみんなから「お前はここに居ちゃいけない。帰ったほうがいいぞ」って言われたんですよ。考えてみればその人たちから見れば僕なんて「これからの世代」だったわけですよ。16歳なんで。そういう思いを寄せて言ってくれたのかもしれないですね。これは本当に縁だと思うんですけど「ここに居ちゃいけないよ。」ってそのおじさんから新聞をポンって投げつけらた瞬間があって。その新聞をみたら・・・
運命を変える新聞
恵比寿新聞
え!?その新聞みたら?
松﨑社長
投げつけられた新聞が朝日新聞でふと目に入ったのが「新聞配達奨学生募集」だったんですよ。「学校に行く人を支援する」っていう。新聞配達だけすればいいっていう項目で。言葉を選ばないで言うと「このままこのタコ部屋で生活するのが俺の未来か?」とそのおじさんたちに気づかせてもらったのと「中卒・家出少年・身寄りなし」って三拍子そろっていてヤバいぞと思い「よし!これだ!」と土方をやめて朝日新聞の新聞配達を始めながら大学を目指して「大検」を受けるっていう方向に行っちゃったんですよ。
恵比寿新聞
それはどこの町で新聞配達してたんですか?
松﨑社長
たまたま配属先が「福岡」で。まぁ出身が福岡という事もあっての配属だったと思うんですけど。その時で17歳。新聞配達しながら予備校に通って。実は、翌年に大検に受かっちゃうんですよ(笑)
恵比寿新聞
え!?それ凄い事ですよね?天才?もし高校行っていれば1年早く大検合格って飛び級!?
松﨑社長
っていうと浮かれるじゃないですか?(笑)しかし17歳で大検が受かっても18歳以上じゃないと大学受けれないんですよ。ってなるとやることがないのでバイトとかし始めるんですよね。でも大学に入るのは3年後という(笑)
恵比寿新聞
なんすかそれ(笑)え!?どこの大学を受けられたんですか?
松﨑社長
慶応ですね。しかもまだ家出しっぱなしで大学受かったんで。実は親に家出後初めて連絡したんですよ。「お父さんお父さん。おれ。大学受かったよ!」って。
恵比寿新聞
いや~。3年息子が家出して連絡がきたかと思ったら「大学合格」なんて泣いて喜んだんじゃないですか?
松﨑社長
いや・・・それが・・・親父は「で?なに?」みたいなリアクションで。まぁ入学金も出してくれず苦学生確定という(笑)まぁ親父の気持ちは「自分で好きにして出ていく」って言ったことを尊重したんでしょうね。
恵比寿新聞
ブレないお父様ですね。。入学金はどうしたんですか?
松﨑社長
もう入学ギリギリという事もあり、どうしようもなく大学には行きたかったのでしょうがなく「学生ローン」っていうサラ金でお金を借りて入学しました。ここで初めて「簡単にお金が借りられる」という事を知ってしまって、気づいたら学校のローンも合わせて1200万円の借金を作ってしまったんですよ。今考えてみたら未熟だったなぁと思うのですが。
まさかの大逆転
恵比寿新聞
わかるような気がします。当時は審査も甘く誰でも借りれるような状況だったと記憶しています。でも大学生で1200万円の借金はかなりきついですよね・・・いや、大人でもきつい・・・
松﨑社長
そうですね。とにかくお金を返すためにお金を借りるみたいな生活になって。とにかくお金返すためにバイトして働いていたんですが、当時派遣の仕事でファッションショーの裏方のバイトやっている時に当日モデルさんが遅刻するっていう事件があって、急遽「ちょっとお前背が高いからやってくれよ」と「歩きゃいいんだよ」って出ることになり。なぜか1回のモデルの代打で歩いたことがきっかけでメンズの雑誌にスカウトされたんです。
恵比寿新聞
なんすかそれ(笑)何歳の時ですか?
松﨑社長
22歳ぐらいですね。そこからもうモデルの仕事のオファーが驚くほど止まなくて、自分でいうのもなんですけど一気に売れっ子のモデルになってしまったんです。当時の露出でいうと坂口憲二くんと同じぐらいファッション系の雑誌やメディアに出ていましたね。自分でも驚きなんですが、それで借金もすぐに返せるようになって。
恵比寿新聞
えーーーー!?なんですか・・・このシンデレラストーリー・・・・
松﨑社長
それでもうこうなったらパリだ!って生活拠点をヨーロッパに移して、結局30歳までパリ・ミラノ・ロンドン・ニューヨークのコレクションでモデルやる旅がらすな生活が続いていましたね。
無職に戻る
恵比寿新聞
もうスターですね。生活環境も大きく変わって裕福になったのになぜ30歳でモデルを辞めたんですか?
松﨑社長
生活は本当に逆転というかお金の心配もなくなりましたね。でも、心の中で30歳なのに、このままこんなモデルの仕事ずっと続けていくって現実的じゃないなと思ってきっぱり辞めたんですよ。じつは結婚するという事もあって東京に帰ってきて。
恵比寿新聞
なにか始めようと思って東京に帰られたんですか?
松﨑社長
東京に帰ってやりたい事がいくつか考えあったんですが、「これだ」というものが見つからなかったんですよね。なので1年ぐらいは何もしていなかったですね。その後に「いよいよだな」ってことで起業するんですね。結果的には広告の仕事をそこから10年やるわけですが。
恵比寿新聞
いや。これ。変な質問になっちゃうかもですが、モデルの仕事ってどっちかというとビジネスというよりアスリートのような仕事じゃないですか?そこからいきなりビジネスってめっちゃくちゃ苦労されたんじゃないですか?
松﨑社長
もうおっしゃる通りで最初は何が「苦労」かわからないくらいの何も知らない状態で初めて礼儀作法も知らないし、経営もわからないままとにかく我武者羅にやったんです。するとなぜか物凄くうまくいったんですよ。でも経営が未熟な状態のままどんどん業態が広がり銀行からの借り入れも大きくなっていった矢先に銀行から貸し剥がしにあい大きな借金を作ってしまって。。
恵比寿新聞
もう人生がジェットコースター(笑)
松﨑社長
そこで40歳みたいな。今考えると恐ろしく未熟な経営だったと思います。モデル時代みたいに宵越しの金は残さないやり方だったんで。気づけば借金3億円もありまして。
恵比寿新聞
3億ですか・・・もう首を吊る勢いですね。。
松﨑社長
おっしゃる通りで本当に死ぬことを考えていて。3億返すの無理だな。。死ぬまでに返すには一生人生奴隷生活だな。。って。嫁にも「もうだめだ・・・」と伝えていたんです。しかし嫁から「死ぬ?どうせ死なないんだったら頑張るしかないじゃん」って当時娘も受験が合格してこれからという時に死んでどうするんだと思って。でもどうしよう?(笑)みたいな。
再復活
恵比寿新聞
家族の為にやらねばならぬですね。でもどうやってその3億の借金を返されたんですか?
松﨑社長
その当時ずっと引きこもっていたわけですよ。家で。するとネットで色んなものをチェックするんですね。見ているうちに色んな世界情勢やトレンドなどが見えてきたり、国による規制緩和や海外の動向など。もうネットで見てるしかないんですよ。するといつの間にか「時代の流れ」に関して詳しくなっていて。
恵比寿新聞
え!?というと?
松﨑社長
当時Facebookが日本に上陸するというタイミングで先手を打って企業に「Facebookの運用講座」をやったり、国の規制緩和が始まることを察知して、例えば例に挙げると「地デジ」に変わる瞬間っていろんなものを替えないといけないじゃないですか?そういう時に必要になる業務とか。とにかく「この近い未来に起こる」事を先回りした業務をお金になるならと仕事を選ばずやったんですね。
恵比寿新聞
うぁ。「風が吹けば桶屋が儲かる」の「風」がいつ吹くかわかるから前もって桶作るみたいな?
松﨑社長
そう言えばそうですね。それで5年で頑張って返しました。
恵比寿新聞
なにそれ!!!凄いですね!!!それでいよいよ「株式会社トランク」を起業することになるんですね。
松﨑社長
ここまで来るのが長かったですね(笑)そうですね^^
恵比寿新聞
まぁ「風を読む」的な発想の仕事をされていて、またなぜこのサービスをやろうと思ったんですか?
震災と父親
松﨑社長
もう借金返すまでは「お金の為に働く」といういわば自分が「キャッシュディスペンサー」になるわけですよ。とにかくお金を稼がないといけない。やりたい事をやらず感情も入れず、とにかくただ「お金を生み出す」という事を淡々とやっていたんです。それは全く面白くない人生ですよ。。そんな事をしている時に東日本大震災が起きたんですよ。お金の為だけに人生を注いでいた時にこんな自然災害が起きて、なぜか居てもたってもいられなくて気仙沼にボランティアに行ったんですよ。
恵比寿新聞
なんと。。
松﨑社長
とにかく被災地は物が足りていなくて、手伝ったのは流通を使って物資提供したり、足りてない情報をネットでPRしたり。それが僕にできる唯一の支援だったんで。人の為にやっていると不思議なんですが生きた心地がするんですよ。そんな時に福岡の父が他界するんですね。そこでは逆に「親の遺品整理をどうすればいいんだろう?」という被災地とは逆の問題が起きていて。
恵比寿新聞
あ!!!!!
松﨑社長
そうなんですよ。日常の「足りていないところ」と「処分するのに困っている」というのをマッチングできるんじゃないかという発想でこのサービスが始まっているんですよ。ザクッとこういう仕組みがあったら良いないうビジネスモデルは頭の中にはあったんですけど、なんせ法律や制度や物流や保管場所などどういうシステムが今日本のどこにあるのかも全く知らなかったので、とにかく色んな方に話をして聞いて回りました。すごく時間かかりましたね。本当にカタチになるのかすらもわからなかった時期があって。
恵比寿新聞
大きなターニングポイントになった協力者の方がいらっしゃるんじゃないですか?
松﨑社長
お世話になった方や共に作り上げてくれた仲間が沢山いすぎて誰というのは本当に難しいんですが、しいて言うなら全国に物流網があって、あらゆる拠点に倉庫を持って、それを動かす仕組みがないとこの「TRUNK」っていうシステムは動かないんですね。当時SBSロジコムという1代で大きな会社までに成長させた鎌田社長という方にお話を聞いてもらう機会があってそしたら「力を貸すよ」と言ってくださったのが大きく「TRUNK」が動きだす出発になったのは本当に感謝ですね。
恵比寿新聞
まさに出会いですね。で、サービスインするわけですね。
松﨑社長
そうですね。サービスインしたのが2016年夏。その後さまざまな会社との提携も始まり今に至るのですが本当に恵比寿新聞さんもおっしゃる通り全ては人の出会いでしかないですね。良い仲間にも恵まれていますし。
ここから提案
恵比寿新聞
いや~こんな人生山あり谷ありクロードチアリな取材は恵比寿新聞史上初で「映画を一本見終わった」ような感覚になりました。ジェットコースターのような松﨑さんの話、刺激になりました。実は良い事を思いつきまして。恵比寿にも色んなニーズがありまして、ひとつは恵比寿って公共の空間で「フリーマーケット」があまり行われていないんですよ。小規模のものや学校など不特定多数の方が入りづらい場所での開催はあるのですが。
松﨑社長
はいはい。
恵比寿新聞
実はとある場所で恵比寿のフリーマーケットを開催しようと考えているのですが、ただ近隣の人が自分が売りたいものを持ってくるというどこにでもあるオーソドックスなフリマもよいのですが、「TRUNK」に預けてらっしゃる方で「TRUNKマーケット」を使われている方の商品をこの新しく開催する「フリマ」で展示販売してみてはどうかな?と思いまして。
松﨑社長
あっ。面白いですね。
恵比寿新聞
しかもフリマに出店して来られる方は売れ残った場合、帰り道もこの重い荷物を持って帰ることになると思うのですが、持って帰らずに「TRUNK」の預かりサービスを利用できれば一石二鳥だなと思いまして。
松﨑社長
お!楽しそうですね。
恵比寿新聞
恵比寿は大きなフリーマーケットがない分ニーズも多く、恵比寿新聞に「恵比寿でフリーマーケットありませんか?」とお問い合わせが来るほど求められているのが現状なんです。この話を是非進めさせていただければ。
松﨑社長
素晴らしですね。TRUNKが預かり保管されている物たちは、ここに保管され続けるのではなく一時的に預けられているものとして必要などこかに動いてゆくという仕組みになっていくと思っているんですね。これからの時代は、生活するうえで買わなくていいものが増えていく。TRUNKもその一つとして買わなくていいものがそろう場所。必要でなくなったもの、必要なものを簡単に取り出して、まわしていける生活のインフラになっていきたいんです。是非前向きに検討させてください。
恵比寿新聞
うぉー!やったー!初取材でいきなりシナジーが起こりそう!!!松﨑さんありがとうございました。
実は恵比寿新聞も15歳と時に家出して
今に至るのですが松崎さんが素晴らしいのは
直観を信じて挫けず真っすぐ諦めず
圧倒的な努力と人との出会いを大切に
生きているんなんだなぁと。
沢山の失敗を経験しているから今があって
その失敗を圧倒的にばねにしている。
本当に恵比寿新聞も見習わないと
いけないと。本当に取材出来て良かった。
ということで、この企画初回からシナジーが
起きそうな勢いであります。
実は恵比寿新聞が次に狙っているのは
「ナイトマーケット(夜市)」なんです。
不要になったものが流通したり、
必要なところに必要なものが届く仕組み。
トランクさんのお力を借りればより
面白いナイトマーケットができそう!!
たのしみでございます。