【前編】恵比寿鯨祭で集まった募金を宮城県石巻牡鹿に持って行きました。

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怒涛の三連休でしたね。恵比寿文化祭・恵比寿ビール坂祭と恵比寿が

盛り上がった三連休でございました。今週はそのお祭りの報告と本日は

恵比寿鯨祭で集まった募金を宮城県石巻牡鹿の「牡鹿鯨まつり」に持って行った

ご報告さからさせて頂きたいと思います。今回は牡鹿・石巻・女川と回ってきたので

2回に分けて報告できればと思っています。ですのでまずは前編でございます。

恵比寿鯨祭に参加していただいた21店舗のお店で募金箱を設置しました。

募金を集計いたしました総額が

211,215円

恵比寿の皆様並びに鯨祭に足を運んでいただいた皆様の温かい募金ありがとうございました。

そして10月12日深夜東京から宮城県石巻牡鹿に向けて出発。約7時間で牡鹿に到着しました。

丁度、日の出の時間と重なり港は幻想的な朝焼けの雰囲気。

しかし、港を見てみると津波の傷跡が未だ確認できるような状態でした。

ここ石巻牡鹿の鮎川地区は石巻市街から車で1時間ほど離れた場所にあります。

牡鹿半島の先にこの鮎川漁港がありまして、捕鯨地区としても有名な地域です。

2011年3月11日3時26分。8メートルの津波がこの鮎川漁港にも押し寄せ甚大な

被害がありました。牡鹿に関しては死者77名。行方不明者11名の被害がありました。

地元の鮎川小学校も7割が半壊。甚大な被害を受けたり、捕鯨の街牡鹿の

鯨の伝統文化を紹介する「おしかホエールランド」も10メートル近い津波に襲われ

1階部分が水没。展示品の大半が流され、希少なコククジラの骨格標本なども水に漬か

るなど被害を受け今年6月に解体。街の観光財産でもあるランドマークもなくなりました。

現在も復興途中でありますこの石巻牡鹿。防波堤も土嚢を置いているような状態。

街の方にお話を伺いますと、町の開発計画が決まったところから復興していくという

流れなのでどうしても牡鹿は遅れてしまうとお話を伺いました。

そんな牡鹿町は素敵な所がたくさんあります。近くには金華山という島が

あります。金華山は我が国最初の金の産金として有名な島でして、聖武天皇の時代

金が取れないと言われていた日本で金が採れるという事をたいそう喜ばれ

砂金900両が天皇に献上。794年にこの事を祝った事を祝し年号を「天平勝宝」と

改元。いわゆる「ご利益のある島」なのであります。左に見えるのが「金華山」です。

凄く良い眺めでしょ!こちら!!牡鹿半島の先端にありますホテル「さか井」さんから

の眺めでございまして!露天風呂から見える景色も格別でございます。

こちらの名物社長「遠藤さん」。遠藤さんは石巻観光協会牡鹿事務所の副会長さん。

牡鹿は良いとこ一度はおいで~!!

すでに超パンチが効いてる(笑)遠藤さん今回はありがとうございました。

その他牡鹿にはその名のごとく「鹿」がたくさんいます。

朝方鮎川に入る途中でも鹿を何匹か見ました。自然豊かなんですね。

さて、牡鹿鯨まつり開催前の慰霊祭にも参加させて頂きました。

場所は鮎川港から徒歩5分の観音寺。こちらのお寺は少し高台にありましたが

この階段の真上まで津波が来たそうですがその他は無事だったそうです。

捕鯨で命を落とした方の慰霊碑もありました。昭和3年4月にたくさんの捕鯨員の

方が亡くなったそうです。捕鯨って過酷な漁なんですね。

東北沖地震での犠牲者への追悼並びに鯨類への感謝の祈祷そして今回復活する

牡鹿鯨まつりの成功を祈願する行事が始まりました。

古来より日本人は鯨を食べていました。そして感謝しこのように捕鯨の街鮎川でも

鯨類への感謝と追悼を行う習慣があるんですね。リスペクトしているんです。

一部の海外メディアではクジラを食べる日本人は野蛮だと言われていますが

このように鯨への感謝を怠らない日本人の姿を見れば意識も変わると思います。

さて、場所は「牡鹿鯨まつり」に移し、いよいよ開会式でございます!!

今回は渋谷区議会議員。あの1票差で落選。そして今年繰り上がり当選した

奇跡の区議!!小柳まさや区議も一緒に牡鹿まで来てくださいました。

石巻牡鹿稲井商工会会長の斉藤さんと恵比寿鯨祭の開会式にいらっしゃった

カクト商店の和泉さん。司会は「トカゲベイベー」という芸人さんです(笑)

まずは最初に恵比寿鯨祭実行委員会から集めた募金を渡す式から。

代表で恵比寿鯨祭実行委員長の古井さんより募金が受け渡されました。

やっとお渡しする事が出来ました。恵比寿鯨祭メンバーも感無量。

会場では石巻市立牡鹿中学校の皆さんのよさこいソーランのお披露目

皆さん一生懸命踊られていました。全校生徒数43人。

一生懸命踊る姿に元気をもらえました。辛い時も楽しい時も人は踊る生き物。

みんな震災以降このお祭りを待ちわびていたそんなテンションが伝わります。

震災を経験して辛かったと思いますが、強くたくましく踊る牡鹿中学の

皆さんの踊りを見ているとこみ上げる物がありました。見ている牡鹿の皆さんの

目にも涙がありました。子供達は地域の宝ですね。

そして牡鹿鯨まつりの会場の前には復興商店街「牡鹿のれん街」があります。

牡鹿のれん街はNPO法人ジェンさんの協力で2011年11月に出来上がった仮設商店街。

16店舗のお店が入っているこのお店。まずは中を見て見ましょう。

まずは入口を入ってすぐに有ります「上海楼」というラーメン店。

上海楼を切盛りするのが高橋さん。元々上海楼は鮎川港の真ん前にあり震災でなくなりました。

現在はここ、牡鹿のれん街で営業されています。昭和33年創業の街の人気中華料理屋。

お店を切盛りされている高橋洋孝さん。なんと!!恵比寿にありますラーメン栄楽さんと

ご親戚なんだそうです!!被災した際も一時高橋さんは恵比寿にいらっしゃったようで。

恵比寿新聞今日東京に帰って恵比寿のラーメン店「栄楽」さんにお邪魔してきました。

栄楽のお母様の妹さんにあたる方が現在上海楼を鮎川でやってらっしゃるそうで、

恵比寿の栄楽さんのお話は取材しましたので後日ご紹介させて頂ければと。

お母様から洋孝さんにご伝言

栄楽お母さん

洋孝!!まけねーでがんばんだよ!!!!!

という事で前編はオシマイ。明日は牡鹿のれん街のレポートと石巻・女川の今の状況をレポート。

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