寺山修司生誕80周年記念音楽祭「冥土への手紙」が恵比寿ガーデンホールで開催

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来たる10月11日-12日に恵比寿ガーデンプレイス「ガーデンホール」にて寺山修司生誕80周年記念音楽祭「冥土への手紙」が開催される。この素晴らしいメインビジュアルのデザインはかの寺山修司作品の舞台・宣伝美術を担当した日本を代表するイラストレーター・宇野亞喜良氏のデザイン。

そうか・・・寺山さんが生きていれば御年80歳なのか。寺山修司。1935年12月10日 – 1983年5月4日。47歳没。恵比寿新聞、寺山さんの演劇や作品などはリアルタイムで体験はしていないものの、実は寺山さんの詩や発言がとても好きで心の中にあり続けている。

 

・作り直しのきかない過去なんてどこにもないんだよ。

 

・たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け 言葉は武器だ!

 

・なみだはにんげんのつくることのできる一番 小さな海です

 

・ぼくが死んでも 歌などうたわず いつものようにドアを半分あけといてくれ そこから 青い海が見えるように いつものようにオレンジむいて 海の遠鳴りを教えておくれ そこから 青い海が見えるように

撮影:有田泰而 写真提供:テラヤマ・ワールド

撮影:有田泰而 写真提供:テラヤマ・ワールド

寺山修司
1935年12月10日、青森県生まれ。18歳で短歌研究新人賞特選「チェホフ祭」を受賞し、歌壇に鮮烈にデビューする。60年処女戯曲「血は立ったまま眠っている」が劇団四季で上演され、「乾いた湖」(監督:篠田正浩)で初めての映画シナリオを手がける。67年には横尾忠則、東由多加、九條映子らと演劇実験室「天井棧敷」を結成。海外でも多数公演を行い高い評価を得た。詩人、エッセイスト、小説家、評論家、作詞家、映画監督、劇作家、競馬エッセイなども。主な活動に、天井棧敷公演:『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』(67)『奴婢訓』『身毒丸』(78)『レミング』(79)など。映画監督作品:「田園に死す」(74)「草迷宮」(78)「さらば箱舟」(84)など。著作:歌集「血と麦」(62)「ひとりぼっちのあなたに」(65)、「書を捨てよ、町へ出よう」(67)など。1983年5月4日47歳で急逝。1997年、多感な少年時代を過ごした青森県三沢市に寺山修司記念館開館。

 

名前だけは聞いたことがあるけど実際にどういう人か知らないという世代の方も多いのではないでしょうか?恵比寿新聞とて生前の寺山修司は一度も見たことが無い。俳人、歌人、詩人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、写真家と多彩な才能を持ち「言葉の錬金術師」と言われた日本を代表する鬼才・寺山修司。1967年、演劇実験室「天井棧敷」を設立。演劇『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』、映画『書を捨てよ町へ出よう』『田園に死す』など数々の作品を世に出し、没後も様々な人々・アーティストに影響を与えつづけている。

肉をそぎ落とすような残酷な言葉と思えば真綿で包み込むようなやさしい言葉。ロマンチシズムにあふれる様な表現かと思えば人間の奥底に潜む「闇」を可視化したような表現。すべてが寺山ワールドであり時代を超えて様々な人々に影響を与え続ける寺山修司という「世界」。没後32年が経過しようとしている。

今回の生誕80周年記念音楽祭ではそんな寺山修司の『天井棧敷』時代の音楽を担当した寺山修司の右腕・生きる伝説とも言われ、寺山修司没後、遺志を引き継ぎ旗揚げした演劇実験室「万有引力」の主宰でもあるJ・A・シーザー氏が天井棧敷時代に結成した「J・A・シーザーと悪魔の家」が奇跡の復活を遂げる。

その他寺山修司強烈な影響を受けたミュージシャンそして寺山修司生前に共に作品を作り出した共演者が一堂に会しこの世を去った寺山修司へ「冥土への手紙」を音楽と共に送るという物だ。ラインナップには大槻ケンヂ / カルメン・マキ / 近藤等則 / SUGIZO(LUNA SEA,X JAPAN) / 瀬間千恵 / PANTA / 山崎ハコ / 犬神サアカス團 // 渚ようこ / 新高けい子 / 元ちとせ / 未唯mie / 蘭妖子 / ROLLY /などの豪華な出演陣が登場する。

そして今回の「冥土の手紙」のプロデューサーは音楽評論家・映画音楽、舞台プロデューサーやメディアミックス・コラボの元祖としても著名な立川直樹氏。そしてポスターハリスカンパニーの代表でもありアングラ演劇のポスター収集家や独自のポスター展などを日本でも先駆けて行うなど異色の経歴を持つ笹目浩之氏。

今回はそんなプロデューサーの笹目浩之氏に寺山修司生誕80周年記念音楽祭「冥土の手紙」について、その他寺山修司さんとの出会いや笹目さんの活動についてお話を伺ってみた。

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笹目浩之
1963年茨城県生まれ。
87年株式会社ポスターハリス・カンパニー設立。
飲食店を中心とした演劇、映画、美術展等のポスター配布媒体業務を確立する。
90年より演劇・映画・イベントの企画・宣伝・プロデュースも多数手がける。
94年、現代演劇ポスター収集・保存・公開プロジェクトを設立。
60年代以降の舞台芸術系ポスターを収蔵し、各界の研究や演劇自身の活性化に役立てている。
所蔵品の充実にともない、60~70年代のポスターは、独立したコレクションとして高く評価される
レベルに達している。現在まで開催した展覧会「現代演劇ポスター展」「寺山修司と天井棧敷◎
全ポスター展」などは国内外約40ヶ所におよぶ。
96年には、オーストリア、ハンガリー、チェコにて「現代日本演劇ポスター展」、横浜でセミナー「現代演劇ポスターとグラフィックアート」などを開催。
97年、水戸芸術館現代美術ギャラリー「新宿区北新宿4-3-3原方二階 笹目浩之」展に於いて、自らの姿をポスターとして展示。同年、新国立劇場情報センター(芸術文化振興会)と当プロジェクトとのポスターの収集・データ共有事業を開始した。
1999年より毎年、新国立劇場情報センター資料館(銚子市)での展覧会、図録の刊行も始まる。これにより現代演劇系ポスターが公的機関に保存・保管され る環境を整えた。また、開館より現在まで
世田谷パブリックシアターポスターギャラリーの企画運営を委託されている。
98年11月には、青森で一日だけ復活 した天井棧敷公演「市外劇 人力飛行機ソロモン」に演出
グループとして参加。
99年「寺山修司◎映像詩展」企画運営。寺山修司と天井棧敷関連企画には欠かせない存在となる。
2003 年、寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年特別企画 「TERAYAMA RETROSPECTIVE 2003」 総合プロデューサー。
12月、寺山修司監督「草迷宮」のデジタルニューマスター完全版ロードショーの配給・宣伝。

恵比寿新聞
笹目さん今回は貴重なお時間頂き真にありがとうございます。それでは色々とお話を伺ってみたいと思います。よろしくお願いします。

笹目浩之
はい。よろしくお願いします。

恵比寿新聞
最初に今回の寺山修司生誕80周年記念音楽祭「冥土の手紙」のメインビジュアルを担当されているのがあの宇野亞喜良氏が担当されているという事だそうで。

笹目浩之
そうですね。寺山さんの「フォアレディース」という少女向けの詩集があってその装丁やすべてのアートディレクションを宇野さんがされていたり、天井棧敷旗揚げの時は「横尾忠則」さんがポスター美術をご担当されました。そのあと1968年頃からかな?宇野さんが、『新宿版:千一夜物語』・『星の王子さま』・『ブラブラ男爵』などの天井棧敷作品のポスターのアートディレクションや舞台装置のデザインを手掛けてらっしゃって。ブラブラ男爵とかは音楽劇だったんだよね。当時内田裕也さんも出ていたんですよ。

恵比寿新聞
え!?天井棧敷に内田裕也さんですか。それは歴史的な。。あっ。話は戻しますが当時宇野さんなどが宣伝用のポスター以外にも劇中の舞台デザインなどもされているというを聞いたのですが昔は分業されていたわけではなかったんですが?

笹目浩之
宇野さんも寺山さんも才能があったからなのかもしれないけど、例えば寺山さんから「今回宇野さん舞台のデザインお願いします」って言えばポスターもセットだったと思うんだよね。美術をやる人はポスターもやることになっていたんじゃないかと。

恵比寿新聞
でもそうすることで宣伝のビジュアルも本番の劇中のデザインにも統一性が出ますよね。

笹目浩之
そうだね。初期の頃の天井棧敷も舞台デザインとポスターデザインは横尾さん(横尾忠則)がやってたし。

恵比寿新聞
それは寺山さんの作品においては、という事だったんですかね?

笹目浩之
いや、唐十郎さんもそうだし、黒テントもそうだと思いますよ。そういう劇中の美術デザインがポスターにも残されているという事だと思います。あくまでも推測だけどね。

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ポスター貼りの手伝いが切っ掛けで

恵比寿新聞
そもそも笹目さんは寺山さんのお仕事を始めるきっかけってなんだったんですか?

笹目浩之
この話をすると一日かかるかもね。かいつまんで説明すると元々俺が19歳の時に働いていた喫茶店のお客さんが演劇好きで、その人に連れられていつも紀伊國屋ホールにお芝居をただで奢ってもらって見に行ってたんですよ。しかもそのお客さんに美味しいご飯もご馳走になって。そのうち、うちに遊びに来なさいって言われるんだけど子供心に「行っちゃいけない」と思ってたんだよね(笑)余談だけど。

恵比寿新聞
なんとなくわかります(笑)

笹目浩之
それで最初に「夢の遊眠社」って野田秀樹さんが旗揚げした劇団の劇を見たのが最初なんだよね。すごく面白くて。その後、喫茶店で知り合った演劇好きの人の名前が「小宮山修二」さんって人で、「寺山修司と同じ名前だから、今度天井棧敷見に行こう」って誘われて(笑)それが運命の出会いになった訳です。その当時つかこうへいさんが演劇を休止する時でした。僕の世代はみんなつかこうへい世代が多いですね。寺山さんの『レミング』って劇をみて翌年に寺山さん亡くなっちゃったんだよね。レミングが僕が唯一観てる寺山修司の作品なんですよ。そのあと、寺山さんの講演会などに、必ず行ってたので、亡くなった頃には既には九條さん(九條今日子)に顔くらいは覚えてもらってました。

恵比寿新聞
え!?九條さんって寺山さんの奥様だった九條今日子さんですよね。

笹目浩之
そうそう。その後、小劇場でよく顔をあわせる事が多かったので、九條さんから「あなたそんなお芝居好きなら手伝いに来る?」って名刺をもらったんです。私はこのチャンスを逃してはいけないと思たんですよ。最初で最後のチャンスが来た。そのタイミングがパルコでやっていた寺山修司追悼公演第二弾の美輪明宏さん主演の「青森県のせむし男」の稽古場に遊びに行って最初に頼まれた仕事が「ポスター貼って来て」って仕事だったんですよ。

撮影:鋤田正義 写真提供:テラヤマ・ワールド

撮影:鋤田正義 写真提供:テラヤマ・ワールド

ポスター貼りが本業に

恵比寿新聞
えーっと。笹目さんの会社名は「ポスターハリス・カンパニー」とわかりやすいポスターを貼る会社だという事はわかるんのですが、寺山さんの奥様、九條さんとの出会いが無ければ今の仕事をしていなかったという事ですよね!?

笹目浩之
そういう事になるだろうね。最初に頼まれた時は僕なんて高校出て大学浪人して演劇も別に素人だし何もできないわけですよ。ポスター・チラシを一生懸命配るぐらいしかできなかった。でもね喫茶店や飲食店にポスターを貼りに行くんですけど、当時寺山さんが亡くなってすぐだったんで、かわいそうだと思われて劇団員でもないのに本当にお店の方にはよくしてくれましたよ。その時は演劇以外の仕事をしないと決めていたからね。それで夜な夜な貼りに頑張って出かけてね。

恵比寿新聞
でその後どうなったんですか?

笹目浩之
本当はこの寺山修司追悼公演第二弾「青森のセムシ男」の公演が終わったら僕はお払い箱になっているはずだったんだけど、偶然公演で物販だとかやるはずのメンバーが交通事故にあっちゃったんですよ。それで「じゃあ笹目君でいいか」って言われて(笑)それで僕が毎日劇場に行くことになったんです。その時に美輪明宏さんにはとてもお世話になりましたね。いつも差し入れとかお弁当とかご馳走になってね。

恵比寿新聞
へぇー!!あの美輪明宏さんにお世話になったんですね。

笹目浩之
したら劇中で「このタイミングになったら駄菓子を投げなさい」って役をもらったりしてね(笑)芝居の途中の駄菓子投げる役をしたんだよね。そして美輪さんにご馳走になりながら食いつないでいたんですよ。その時ねぇ~副業というかバイトで「ゲームウォッチ屋」っていうのをやっていて。ゲームウォッチって有ったでしょ?そのお店が突然閉店ことになって給料も払えないって事で大量のゲームウォッチが余ってたんですよ。それを売ったら半分あげるよって事で美輪さんや美輪さんの付き人やパルコのプロデューサーの人に買ってもらったりしてね(笑)

恵比寿新聞
なんですか(笑)その食いつなぎ方(笑)

笹目浩之
それでパルコの人とも仲良くなって。それが1983年ぐらいかな。それでその公演も無事終わって。そう。その時、宇梶剛士さんが初舞台でしたよ。「青森県のせむし男」でデビューしたんですよ。それでその公演が終わっても僕は寺山さんの事務所に入り浸るようになって。元々寺山さんが住んでいた家が事務所でね。渋谷のNHKの近くにあったんですよ。意味もないのに毎日遊びに行ってたんですよ(笑)。丁度パルコから電話がかかってきて、ポスター貼るバイトを探していると、事務所に電話があって、「丁度いいのがいるわ!」って僕の了解も取らずに勝手に派遣された訳ですね(笑)

恵比寿新聞
でまたポスター貼りを?

笹目浩之
そう。その時に貼ったのが画家の金子國義さんの『オルペウス』っていうバレエのポスターだったんですよ。その頃まだ僕は金子國義さんなんて知らなかったから、今思えばあのポスター取っとけばよかったんだけどね。それを貼って報告したら結構良いバイト代になってね。これもしかしたらいいかな?なんて思っちゃったんだよね。次は、電話して『サンフランシスコ物語』って石坂浩二さん演出のお芝居を、貼りませんか?で、貼って終わって報告しに行ったら前回のバイト料の半分だったんだよね。えっ!?って思って(笑)

恵比寿新聞
え!?(笑)どういうことですか?

笹目浩之
「笹目君前回の分、倍あげてたよ(笑)」だって。でもそれ以降パルコの演劇のポスター貼りは自動的に僕がやることになって。その頃二十歳だけど殆ど同じ年代の子達をバイトで使ってたね。何人も学生のバイトの子を雇って。すべて寺山つながりだけど。それこそ今回出演するシーザー(J・A・シーザー)の万有(寺山修司の遺志を引き継いだ劇団 万有引力)の旗揚げ公演の時に手伝いで客入れとも手伝ったり。その頃のバイトの子はみんなマスコミ系や広告代理店に就職したりしてね。その頃既にパルコの事務所には「笹目棚」って勝手に僕の棚が出来ていたりしてね。

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笹目浩之
その頃から、パルコはエンターテーメント系の業務がどんどん拡大していくわけです。そこに寄り添うようにしてポスターハリスも一緒に成長していったんですね。どんどん仕事が増えて行きましたよね。それから世の中はバブルに入っていって劇場バブルもあってね。その時期にパルコでやったとんでもない「ピンクフラミンゴ」って映画があってそのポスターを500枚貼ってくれないかって話があり、それを一生懸命貼ったら他の人から「パルコのポスターをよく観る」って噂になり「それって笹目って言うんだよ」って事になってそれで色んな紹介があってファンタスティック映画祭とかシネマライズとかいろんな仕事をさせてもらう事になって今があるって話かな。ディバインのおかげでもあるんですけど。あ。御免ね寺山修司の話からそれちゃったけど。

恵比寿新聞
いや。寺山御大がいらっしゃらなければここまでにはなっていなかったという非常に人生として参考になる話でした。そういえば笹目さんはアングラ劇のポスター収集を1万枚ほどコレクションがあるとか?今回も寺山修司の天井棧敷のオリジナル・ポスター展があるとか?

笹目浩之
はい。今回の寺山修司生誕80周年記念音楽祭の会場で公開します。是非貴重なので見に来ていただければと。

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笹目さんのお話が本当に面白すぎてまったく本題にはたどり着けぬまま時間切れという前代未聞のインタビューとなりました。余談ですが、実は寺山修司さんの主宰する「天井棧敷」が所有する「天井棧敷館」という小屋が一時期、恵比寿と渋谷の間の並木橋にあったそうなんです。丁度今の『ラーメン山頭火』のあたりに。一階は喫茶店。地下が劇場。2階は天井棧敷事務所。時期は昭和44年~昭和51年まであったそうです。その後麻布に天井棧敷館は移動してしまうそうなんですが、

笹目さんのお話によると、笹目さんが丁度寺山修司の遺作となった『レミング』を見た1年後寺山さんが亡くなってから天井棧敷解散となり新しくJ・A・シーザーさんが「万有引力」を旗揚げするための立ち上げ資金の足しにするために大道具などをバザーで販売した際、笹目さんは、寺山修司の遺作となった『レミング』で使われた大きな体温計を購入したそうです。当時で1500円。高いのか安いのかわかりませんが、その後「万有引力」でレミングの再演をする際もその体温計を貸してあげたなどの逸話も残されています。同じバザーで、天井棧敷館にあった机とソファーも笹目さんは入手し、今でも笹目さんの事務所に大切に使われているそうです。

今回10月11日-12日の第一夜の演目は『書を捨てよ町へ出よう』。映画になったこの寺山作品。こちらの映像をご覧いただければ寺山修司という人間が如何に研ぎ澄まされた人物だったのかという事がわかります。

第一夜:「書を捨てよ町へ出よう」
J・A・シーザーと悪魔の家2015
大槻ケンヂ / カルメン・マキ NEW / 近藤等則 / SUGIZO(LUNA SEA,X JAPAN) / 瀬間千恵 / PANTA / 山崎ハコ
※五十音順

初日は上記の豪華なメンバー出演。そして第二夜の演目はこちらも映画になった寺山作品『田園に死す』。ストーリーは父親のいない中学生の私は、恐山の麓の村で母と二人で暮らしている。唯一の楽しみといえば、イタコに父親の霊を呼び出させて会話をすることだった。私の家の隣には他所から嫁入りした若い人妻が住んでおり、それが意中の人である。ある日、村にやって来たサーカスへ遊びに行った私は、団員から外の世界の事を聞かされ、憧れを抱くようになった。今の生活に嫌気がさした私は家出をすることを決心し、同じように生活が嫌になった隣の人妻と共に村を離れる約束をした。駅で待ち合わせをして線路を歩く二人……

第二夜:「田園に死す」
J・A・シーザーと悪魔の家2015
犬神サアカス團 / 近藤等則 / SUGIZO(LUNA SEA,X JAPAN) / 渚ようこ / 新高けい子 / 元ちとせ / 未唯mie / 蘭妖子 / ROLLY
※五十音順

今回は非常に歴史的な事が起こる事となります。天井桟敷の看板女優と言われる「新高けい子」さんが天井棧敷解散後久しぶりに舞台に登るという貴重な時間になるそうです。そして両日ともにJ・A・シーザーと悪魔の家・万有引力の皆さんそしてダンスパフォーマンスなどもあります。

J・A・シーザーと悪魔の家2015 ※両日出演
J・A・シーザー(音楽監督、ボーカル、パーカッション)
飛永聖(ギター) / a_kira(ギター,キーボード) / 本郷拓馬(ベース) / ARUHI(ピアノ) / 田中まさよし(ドラム) / 谷本健治(オルガン) / 多治見智高(ヴァイオリン) / 山田弥生(フルート) / 大野晶靖(チューバ) / 竹林加寿子(ソプラノ) / 川口詩子(ソプラノ) / 斎木智弥(テノール) / 安保弘介(テノール)

歌唱・合唱 ※両日出演
演劇実験室◉万有引力 / 蜂谷眞未 /石川詩織(SET) / アマンダ ワデル(革命アイドル暴走ちゃん)

ダンス ※12日のみ出演
ダンスパフォーマンスグループJUGON(岡本はる香 / 下平京子 / 石橋忠士)
※各日で出演者が異なりますのでご注意下さい。
※都合により、出演者が変更になる場合がございます。予め御了承下さい。

そして両日で演奏される楽曲が以下になります。

予定演奏曲目 ※実演日程未定
あしたのジョー / 海猫 / 惜春鳥 / かもめ / 戦争は知らない / 時には母のない子のように / 山羊にひかれて / のぞきからくり赤い帯 / 風見鶏マリー / 1970年8月 / come down moses ―カムダウンモーゼ― / 山に上りて告げよ 他
※順不同
※各日で曲目が異なります。予めご了承下さい。
※都合により曲目が変更になる場合がございます。予め御了承下さい。

寺山ファンは見逃せません!

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