前編|大正から続く酒屋4代目夫婦が作り出す「誰もが笑顔になれる角打ち JOLLYS」

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あけましておめでとうございます

皆さん本年もよろしくお願いします。

どんなお正月でした?え?寝正月?

まぁ今年はお休みが長かった方も

多かったのではないでしょうか。

さて、2018年度新春初記事は!もう既に

皆さんハマっているのではないでしょうか?

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JOLLYS

もうジョリってますって人多いでしょうね。

場所は恵比寿駅から徒歩5分。

渋谷橋交差点から明治通り沿いを渋谷方面に

進めば左手にあります。オシャレな入口が目印!

2016年5月に角打ちリカーストアとしてオープン。

瞬く間に地域のハブ的存在の「角打ち店」に。

アメリカのクラフトビールを中心に

様々なお酒を小売価格で提供。

恵比寿で夢の「せんべろ」(1000円でベロベロ)

が可能になった夢の角打ちリカーショップなのです。

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店内は日本離れしたカリフォルニアスタイル。

「え!?お酒屋さん?」と思うであろう店内は

アメリカの古材を使用したシックな木目調。

「角打ち」という日本の古き良きスタイルから

新しい「角打ち」がここでおっぱじまっているわけであります。

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ズラリと並べられた冷蔵庫。

右からアメリカのクラフトビール。

真ん中が世界のクラフトビール。

右側がチューハイからソフトドリンクまで。

すべて小売価格でその場で楽しめるのが売り。

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もちろんおつまみも充実。

スナック菓子からチーズ。缶詰。

お手製のホットドックからスパムおむすび。

そしてこんなものまで・・・・

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冷凍食品まで!!!!!!!!

お店でチーンしてお酒のあてとして

頂けるなんとも気の利いた

「角打ちに特化したスタイル」。

それだけではないんです!

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奥にはなんと。。。。。

ステージが!!たまに著名なミュージシャンが

ジャガジャーン♪とやっている日もあるとか。

何故なら!?このお店の地下には!?(後編で紹介)

とにかく平日の夜でも人がわんさか。

活気のあるこちらのJOLLYS!!!!

実は大正時代から続く超老舗の酒屋さん。

しかしその歴史の詳細に関してメディアでは

多く語られていないのではないでしょうか?

今回恵比寿新聞は普段のJOLLYSの良さも

そうですが、大正から平成にかけて進化した

「JOLLYS aka 阿波屋」が持つDNA部分に着目。

歴史アーカイブ記事として取材しました。

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この見つめあう二人が今回の主役。

左から阿波屋4代目の峯村妙子さん。

右が旦那さんの峯村幸(みゆき)さん。

本当にこの二人仲良いなぁ~。

恵比寿新聞
やっと来れましたよ・・・・(取材交渉していたのは2年前から)

妙子さん
もう遅ーい!!!!ぷんぷん😡

恵比寿新聞
遊びに来てるほうが多かったからもう取材しなくてよいかなってwとにかく素晴らしいご活躍で。

妙子さん
おかげさまで^^みんなのおかげですよー((((oノ´3`)ノ

恵比寿新聞
現在恵比寿の新名所と言っても過言ではないローカルハブな存在になった「JOLLYS」ですが、ここは恵比寿新聞流に是非!歴史的な背景からアーカイブ取材したいなと思いまして今回新春ではありますが参上したわけです。

妙子さん
もう難しいこと言ってて全然わからなーい((((oノ´3`)ノ

恵比寿新聞
とりあえず質問に答えるだけでokです。

妙子さん
りょうかーい((((oノ´3`)ノ

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酒屋の家に生まれて

恵比寿新聞
地元の人はまだ「阿波屋」さんって呼んでるくらい地元密着のお酒屋さんだったイメージと夏の氷川神社例大祭の連合神輿の集合場所が明治通りなので地元の人には愛着のあるこちらのお店なのですが創業が「大正」ってすごいね・・・

妙子さん
大正10年の1921年からこの場所で酒屋さんやってるんです。元々は私の曾お爺ちゃんの「峯村延恵」が港区の天現寺交差点から古川橋方面の間くらいに在った「阿波屋酒店」という酒屋ののれん分けをし開業したんです。
※今から97年前で日本では1寸2寸の「尺貫法」から「メートル法」に変わった年です。

恵比寿新聞
どんな曾お爺ちゃんだったんですか?

妙子さん
実は私が生まれた年に亡くなっているんです。なので実際に記憶のある時に会ったことはないんだけど、商売の才覚のある人だと聞いていました。当時「阿波屋」は2階建ての一軒家で丁稚奉公(住み込みの働く人)の方がたくさん居たんだって^^

当時の阿波屋

当時の阿波屋

こちらが創業者の「峯村延恵」さん

こちらが創業者の「峯村延恵」さん

恵比寿新聞
なるほど。創業者の曽祖父が大正時代に酒屋をはじめて、お次の阿波屋2代目を受け継いだのがどなただったんですか?

妙子さん
私のお婆ちゃんなんです。昨年7月に94歳で亡くなったんですよ。長生きしたんです(TT)本当にプライドが高くて商売魂もあって。とっても優しくしてくれました。

恵比寿新聞
94歳なんて大往生ですね。素敵なお婆ちゃんだったんだー。生前に恵比寿の昔の話を聞きたかったなぁ。。。というと峯村家全員もしかして広尾小学校?

妙子さん
そーなんですよー!!渋谷町立広尾尋常小学校(広尾小学校の設立時の名称)の時に通ってたのが、お婆ちゃんで、お父さん、私、そして子供たち4代続いて「広尾小学校」なんです!

お婆ちゃんが切り盛りしていた時代の「阿波屋」

お婆ちゃんが切り盛りしていた時代の「阿波屋」

お父さんの背中を見て

恵比寿新聞
で!三代目が妙子さんのお父さんになるわけですね。生まれた時から酒屋の娘の妙子さん。小さい時からお店番してたんじゃないですか?

妙子さん
はい^^そうなんですよ。小さい時からお父さんが働いているのを見ながら育ちました^^小さいときはいっつもお酒を入れるダンボールとかで工作して遊んで過ごしていましたね(*^^)v

恵比寿新聞
まさに父親の背中を見て育ったってことなんですね。しかもダンボール工作か~。

妙子さん
もう年がら年中ダンボールで「自分の家」みたいなのを作って遊んでました^^その影響もあってかわからないけどモノ作りが好きで今お店にあるものってほとんど私がDIYして作った作品なんですよ!!

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才能開花(笑)

恵比寿新聞
ダンボール工作のなれの果てがこれですね(笑)すごい!!!

妙子さん
そうなの!作るのだいすきー!!((((oノ´3`)ノ

恵比寿新聞
当時お父様の代の阿波屋ってどんな感じだったんですか?

妙子さん
近所のおじさんがお酒を買いに来たり、お酒の配達に行ったり、おばさんが「今日はこんなことがあってねぇ~」っておしゃべりしに来たり、近所のお婆ちゃんが来てお菓子くれたりと本当に楽しかった。昔はお店の前にお団子屋さんがあって小さいときはしょっちゅうそこに出入りしていました。当時もお店にお酒を卸したり配達したりお店でお酒を売ったりしているお父さんを見て「私も大人になったらお酒屋さん継ぐ!」って小さい時から心の中で決めてたんです^^

恵比寿新聞
そっか。やはり「血」なんですね。やはり「親」ってこどもに「背中(生きざま)」を見せるって大事なんですね。

妙子さん
はい。そんな父をとても尊敬していました。実は父が5年前に他界して。本当に大好きなお父さんだったんです。。そして私たちの代に引き継がれることになったんです。

恵比寿新聞
ん?私たち?あれ?旦那さんの幸さんは?いつどこで知り合いに?

妙子さん
え!?そんなところまで話するの!?

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旦那「幸」さんとの出会い

妙子さん
えーー!!!(*”▽”)はずかしー!!!

幸さん
はずかしいね。。。。

恵比寿新聞
ちょっと馴れ初めはなしましょうよ(笑)最初はどこで会ったんですか?

妙子さん
実は運転免許を取るために通っていた「日の丸教習所」で会ったのが最初で(*”▽”)

恵比寿新聞
へぇー。

妙子さん
最後の実施試験が受かって私が超舞い上がってたんです((((oノ´3`)ノ日の丸教習所の軽食スペースのスタッフの人に「今日受かったんですよー!!!!」なんて大声で報告していたら….

恵比寿新聞
いたら?

妙子さん
遠くの席から「おめでとうございます!」って言ってくれたのが旦那なんです💕

恵比寿新聞
おぉーーー!!!!

妙子さん
最初の出会いの言葉が「おめでとうございます」なんですよ~💕

付き合った当時の写真

付き合った当時の写真

旦那が阿波屋でお手伝い

恵比寿新聞
ちょww写真が90年代www眉毛ほそっ!w安室ちゃんの時代じゃないですか?

妙子さん
そうそう。多分これは私が1999年の留学に行く前の写真だよね?

幸さん
そうだね。

恵比寿新聞
時はバブルが終わり混とんとしていく前夜ですね。そこから付き合い始めて。

妙子さん
当時から旦那はサーフィンが大好きで一緒にサーフィン行ったり、色んなレストランに行ったりと。

恵比寿新聞
幸さん全然話しないですねw

幸さん
今日は奥さんに任せます。。

恵比寿新聞
今では3人のお子さんに恵まれて^^素晴らしいですね。

妙子さん
結婚したのち、彼がお父さんと阿波屋を手伝ってくれていたんですよ。

結婚式の写真

結婚式の写真

コンビニエンスストアになる前の写真

コンビニエンスストアになる前の写真

恵比寿新聞
そういえば僕の記憶では一時期コンビニになりましたよね?

妙子さん
そうなんです。先代の父が「お酒だけじゃなくて色んなものを取り扱うお店に」という事でコンビニエンスストアと酒屋を合体させた業態に変更しようという事で。その時に0から旦那が手伝ったんです。

恵比寿新聞
ほぉー。そういう経緯があったんですね。でJOLLYSになったきっかけってどんなものだったんですか?

妙子さん
これを話すとかなり長くなるな・・・・父が入院しているときの話なんですけど・・・

という事で今回はここまで。

次回は「JOLLYS誕生秘話」と「秘密の地下室」

をご紹介したいと思います。後日。

後編はこちら

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