広尾中学校の校庭に4500年前の竪穴式住居遺跡がみつかる

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令和4年度公表の「渋谷区『新しい学校づくり』整備方針」に基づき、今後20年間で老朽化した渋谷区にある学校施設の建て替えを予定しているなかで渋谷区立広尾中学校の建て替えも令和7年からスタートすることが決まっており、その建て替えの調査の中で、なんと、4500年前の竪穴式住居の遺跡が広尾中学校のテニスコートの下から発掘されたことが話題になっています。

こちらがその一部。土器も出土しており土器の年代から見ると約4500年前の竪穴式住居だという事がわかっているそうです。調査にあたっているトキオ文化財株式会社の伊庭さんの話によるとこのテニスコート付近で3つの竪穴式住居がみつかっており現在学校と体育館を結ぶ廊下の下で発掘された竪穴式住居を調査しているそうです。

直径3mぐらいの円形に広がる竪穴式住居。約3人ぐらいが生活できるような広さだそうで、3つの竪穴式住居が今のところみつかっているのですがちょっとした集落があったと推測できます。円を囲むようにあいた穴が柱が立っていた場所で右上に少しくぼんだ穴があると思うのですがそこは食品などを入れる「貯蔵庫」だったのではないかと言われています。

3つの竪穴式住居

現在の調査で分かっているのは3つの竪穴式住居がある事。集落があったのではないかと言われており、この辺には渋谷川と現在は暗渠化されている笄川(こうがいがわ)があったため縄文時代の人たちも生活がしやすい環境だったのかもしれません。丁度円を囲むように集落があった事から今の校庭のある真ん中あたりで火をくべたりしていたのかもしれません。

縄文時代のゴミ捨て場?そして江戸の痕跡

3つの集落の中心付近に大きな穴がありそこから川で採取したであろう石が約100個ほど発掘されたそうです。何かを燃やしたりした形跡はなくまだはっきりしていませんが集落のゴミ捨て場だったのではないかと言われています。更にこの辺は江戸時代大阪の伯太藩渡辺家の下屋敷があったそうです。実はその下屋敷の古い痕跡も発掘されているそうで今後校庭運動場側も調査するとのことです。

丁度赤の四角で囲んだ部分が現在の渋谷区立広尾中学校の付近です。江戸時代は畑と藩の下屋敷が多い地域だったという事がわかります。渡辺家の左上に現在の「渋谷氷川神社」左側に「宝泉寺」下に「祥雲寺」真下には「東北寺」など現存するお寺も記されています。今後の調査でどんなことがわかるのか本当に楽しみですね。

協力:元広尾中学PTA会長西川さん・渋谷区立広尾中学校・白根記念渋谷区郷土博物館・トキオ文化財株式会社

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