どうも恵比寿新聞でございます。日本には数々のパワースポットがありますね。
中でも出雲大社や伊勢神宮など現在でも来訪客が大賑わいでございます。
実はここ恵比寿にも正真正銘物凄いパワースポットがあります。知らない人も
多いはずです。場所は恵比寿南の線路沿いの坂を上る途中にあります。
福徳稲荷
実は恵比寿新聞をはじめる前からこちらの伝説はちょいちょいと聞いておりましたが
今考えてみると物凄い伝説だな~と思い。今年の初めからその他の伝説などのお話を
調査していると出るわ出るわの伝説尽くし。それでは順を追ってこの福徳稲荷の
伝説とちょっとした歴史のお話を交えて今日はお紹介したいと思います。
福徳稲荷が出来たのは定かではありませんが、この辺一帯は江戸下渋谷村と言われており
まさに稲荷の場所は「稲荷山」と言われていた山だったそうです。当時から大変大切に
されていたようで言い伝えによるとこんな伝説があったそうです。
現在広尾にあります「祥雲寺」で起こった話。当時住職だった鈴木子順住職の夢の中に
福徳稲荷大明神が表れ「今夜、火難あり」とお告げになったそうです。そのお告げ通り
その夜祥雲寺内にあった霊泉院という建物が火事にあったという言い伝えがあるそうです。
なにそれすごい!!!
その他にもまだまだあります。明治39年の恵比寿駅の旅客駅を建設する際の出来事。
当時この工事に従事している職人達がこの稲荷社域で小便をしたり絵馬を割って
たき火をするなどしていたらその後事故が多くけが人が出たり、作業中に死んだりと
大変な事になり、その後福徳稲荷で悪さをする人が減ったという伝説も残されています。
こわいよー!!
その他にも明治41年には恵比寿駅前にあった「鈴木庵」というお蕎麦屋さんの
ご夫婦が福富稲荷大明神のお告げを聞きました。祠の修理や整頓をするようにとの
お告げだったそうですがそうした所、大きな病気が治ったという伝説が残されています。
鈴木庵さんは現在の恵比寿駅前の三井住友銀行付近に昭和の中ごろまでいらっしゃったと
いう記録が残っています。これ本当にすごい話ですよね。
※以前鈴木庵があった場所※
江戸時代からこの辺は杉の木が多く生える森林だったそうで福徳稲荷の祠の中にも
大きな御神木があり木を切ったり枝を折ると罰が当たるという言い伝えも残されています。
とにかくすごいところなんですね。病気を治したり火事のお告げをしたり悪さをする奴らを
とっちめたりと。何故これほどまでに言い伝えが多いのかは不明ですが今もこの付近の方が
しっかりとお稲荷さんをお守りしているようです。恵比寿新聞も今回の取材をする際に
お稲荷さんの大好きな「お神酒」をお持ちしました。さて、さて、歴史をさかのぼります。
実はずいぶん昔から現在の恵比寿南あたりを「渋谷次郎」という武士の方がおさめていたそうです。
上記の写真にありますが「渋谷次郎之跡」という石碑があります。そもそもこの稲荷山とは
いったいなんだったか!?実はこちら「円墳古墳」がこの稲荷の地下に埋まっているそうです。
「福徳稲荷古墳跡」と呼ぶそうでもう少し坂を上がると「渋谷塚古墳」というものもあります。
こちらはこの地をおさめていた「渋谷次郎」氏から取った名前だと言われております。
福徳稲荷古墳跡実はですね無名古墳として指定を受けており
実はまだ未発掘の古墳だそうです
きっとこの地をお守りしてくださってるに違いないと思います。
恵比寿新聞も今後恵比寿の歴史を紐解き「古きを訪ね新しを知る」からには福徳稲荷に
お参りに行こうと思います。お稲荷さんのお参りは「二礼二拍手一礼」が基本だそうです。
日のあるうちにお参りすると良いとされます。また綺麗好きでお掃除すると喜ばれるそうです。
お供えはいなり寿司、お赤飯、天ぷら、御神酒も良いそうですが腐りづらい物の方が
こちらを管理されている方も良いと思うので恵比寿新聞はお神酒にしました。
以上、恵比寿南にあります福徳稲荷のお話でした^^