このコロナ禍の中、飲食店の皆さんが
どうしているのかとても気になり年始から
取材を続けている恵比寿新聞。
ある意味「無くなってほしくない」
からそうしているわけで。でも取材した所で
無くならない保証なんて一つも無いけど
こんなこともう一生ないだろうと
記録し続けている。
その中でもどうしても話を聞いてみたい
一人のお店を営む女性がいます。
その方は不思議なオーラで
言葉は沖縄弁バリバリの女性。
恵比寿新聞のみならず彼女の
ファンは同姓異性関係なく多く
その独特なスタイルはどのようにして
産まれたのかとても気になっていた。
彼女の周りにはいつもニコニコした
恵比寿の食通住民が集まり下町の香りがする。
彼女が居ないと成立しない不思議な魅力がある。
お店の名前は「plate(プラット)」
ミシュランビブグルマンを獲得した恵比寿の
名フレンチ「アーティショー」の姉妹店として
3年前にOPENしたこのお店。
現在は土日のみの営業になっている。
コロナ禍の中でも常連さんの多い店なので
しっかりと感染拡大防止に勤めたが
今回第三波、土日のみの営業にとどまった。
しかし彼女の事だろうから
きっと何かを考えているに違いないと
今回お休み中の最中取材を申し込んでみた。
そして取材当日を迎える事となる。
沖縄からやってきました🍍
恵比寿新聞がいつも興味があるのは
plateを司る彼女の魅力と彼女が
「どうしてここに辿り着いたか」
という部分で人生をさかのぼる為
話は生まれたころへ話を巻き戻します。
ご紹介します。今回の物語の主人公
渡嘉敷ゆきえさん。沖縄県生まれ
育ちは沖縄県中部にある読谷村。
3人兄弟の長女として生まれ高校までは沖縄。
ゆきえさん
とにかく沖縄を離れたい一心で(笑)そういうのわかりません?ずっと沖縄で生まれ育って外の世界を見てみたいと出ていく最初のタイミングがあるとすれば沖縄では「大学」なんですよ(笑)親からは「琉球大学でいいでしょ?」と沖縄から離れる事を反対されたんですけど、とにかく夢とかは無いけど沖縄から離れたくて琉球大学の学科にはない学科を志望してなぜか東京じゃなくて山口の大学に行きました(笑)
想像した世界じゃなかった
のっけから「そこは東京じゃない?」と
突っ込みが聞こえてきますが山口の大学で
栄養学を学び卒業しその後京都の旅館に
就職することになります。
ゆきえさん
一応食べる事が好きだったので栄養士の資格を取って卒業後京都の旅館ホテルに就職したんですが、私の中のイメージでは京野菜を使った新鮮でこだわったものをと思っていたのですが厨房で仕事するやいなや全部冷凍もので(笑)しかも私なぜか冷凍庫から物を運んでくる係に任命されて(笑)工場みたいな仕事とイメージしていた世界とはかけ離れていたので私のいる場所ではないと1年そこらで辞めてまた沖縄に戻ることにしたんです(笑)
大切な先輩からの教え
1年そこらで京都から沖縄へUターンしたゆきえさん。
とにかく働かないとと地元読谷村にある飲食店で
働き始めるのですがそこで大切な先輩たちとの
出会いがあります。
ゆきえさん
とにかく働かないといけないと思って地元(読谷村)にある「読谷物語」というお店で働かせてもらったんですね。その店本当にとてもいい店でお皿もグラスも琉球の伝統工芸を使っていて料理も沖縄料理をうまくフュージョンしたような気の利いた料理で、抜群に観光客のリピーターが多いお店でしかも安い。そこで出会った先輩に今でも大事にしている大切な事を教わりました。掃除ひとつにしても「とかちゃん(ゆきえさん)この席にくるお客さんが”あ。この店で今日初めてこの席に座るんだ”と思うくらい綺麗にしなきゃだめだよ」とか今でもその教えを大切にしてるんです。結局居心地よくて3年ぐらいそのお店で働きました(笑)
いざ東京へ
3年務めた「読谷物語」。
先輩たちからも可愛がられ
居心地も良いお店を離れて東京に
行くことを決心します。
どんな思いだったのか。
ゆきえさん
ふと気づいたんですよ。家も近いし、居心地よいし、私このまま沖縄で働いて、結婚してこのまま沖縄の女として生きていくのかと思ったら「一度でいいから東京で生活して彼氏見つけたい」と思って(笑)動機は不純なんですけど(笑)とにかく東京の求人誌を読み漁って見つけたのが「羽田空港の販売の仕事」というのがあり、寮もあるのでこれは好都合だと思いすぐに申し込んでそこで働くことになったんです。
そんなバナナ
動機は不純であれ
沖縄の生活に一旦終止符をうち
いよいよ夢の東京へ出てくることになります。
ゆきえさんを待ち受けていたお仕事とは。
ゆきえさん
羽田空港で販売の仕事ってなんだろう?と思いとにかく東京生活が始まった初日。なんと羽田空港でひたすら「東京バナナ」を売る仕事だったんですよ(笑)まずは私の東京初の仕事が東京を代表する「東京バナナ」だったんです。その後、職場で知り合った同僚と仲良くなり4人での共同生活がはじまって、結局その同僚の子たちとは8年間一緒に生活することになるんですが(笑)とにかくバナナを売る仕事もそこそこにして恵比寿のレコールバンタンに通ってカフェの経営や料理を学んで卒業後あてがわれた自由が丘のフレンチbistro的なお店で働くことになったんです。
クソブラック企業だった
東京バナナを売り続け東京バナナ娘として
4人で共同生活がはじまりいよいよ夢の
東京らしいお洒落な業界へ足を踏み入れる
ゆきえさんですがそこで待ち構えていたのは
想像を絶する待遇でした。
ゆきえさん
働いたそのお店が今考えてみたらマジでクソブラック企業だったんですよ。給料が手取りで10万しかなくて社会保障とか保険もなくて、しかもお休みも無くて。でもその当時東京というものを知らなかった私は「お休みがないなんてこれが普通なんだ」とか「一生懸命働いていても税金と家賃払えばお金全部なくなるんだ」とか。マジで洗脳されていて、社長のセクハラも最悪だったけどそれが当たり前みたいな感覚で。結局辞める時も逆にこっちがお金払わなきゃいけないみたいな訳のわからないお店だったんですが2年半そこで働いて。たまたまそこで働いていた方を通じて「東京っぽいところで働いてみない?」と誘われたのが「センチュリーコート丸の内」という会員制のクラブレストランで。そこで働くことになったんです。
週休二日の天国へ
東京の縮図と言える「ブラック企業」を
経験したゆきえさんはそのお店で働く方の
ご縁で次なる世界で働き始めます。
そこはあの日本の重要文化財である建物が
舞台となっている「センチュリーコート丸の内」
だったのです。
ゆきえさん
給料めっちゃあがりました(笑)ブラック企業の時とは雲泥の差で(笑)普通の人になりました(笑)しかも週二日休みもあるし!お店も素敵なところで田舎者の私はわーい!!という感じでしたね。一番最初に配属されたのがメインダイニングのフレンチのセクションのホール担当でそこでワインを覚えてソムリエ試験も合格して、その後和食のセクションでマネージャーやって日本酒を覚えたり、気づいたら居心地よくて6年半も居ました(笑)そうしているうちに、読谷村の読谷物語の常連さんで東京の方がいらっしゃって、上京後も仲良くさせてもらっていた方から「とかちゃんと同じ読谷出身でフレンチシェフで同じ年齢ぐらいの子が駒沢で働いているよ」と紹介してもらう事になったんです。
人がつなぐ出会い
6年半、名門「センチュリーコート丸の内」で
仕事に従事する中で紹介された同郷のフレンチシェフ。
その方からある人を紹介されまた人生が動ぎだします。
ゆきえさん
実は紹介された人が私の地元の中学校の1個上の先輩で(笑)でも顔を覚えてなくて(笑)だってうちの中学校は7クラスあったから(笑)その先輩と良く飲みに行く機会ができて、飲みながら「わたしも自分のお店が開きたいなぁ」って話をその先輩が覚えてくれていて紹介されたのがアーティショーの山根シェフなんです。
そこで登場山根シェフ
山根紳作
1997年、武蔵野調理師専門学校を卒業後、日本にあるフランス料理店に就職。
その後1999年にフランスに渡り、「ステラ・マリス」「ラ・トリュフィエール」などの三ツ星レストランでの修業を経て、2007年、フレンチレストラン「アーティショー」をオープン。お店は、ミシュランのビブグルマンを獲得。
今回しれーっと登場して頂いた巨匠
山根シェフ。今回いつもplateで出している
料理をだしてくださるそうです。
うほっ。たのしみー(=゚ω゚)
いきなり来た願ってもないオファー
そんな先輩からきたお話が
「新しいお店のオープン話」
東京でお店を開きたかったゆきえさんに
大きなチャンスが訪れます。
ゆきえさん
いきなり先輩から紹介された話がアーティショーの山根シェフが自分のお店の前の物件を使って新しいお店をやりたいという話だったんです。実は最初お断りしてしまって(笑)というのも今までの境遇も東京に出てきてからブラック企業に良いように使われたりもあったし「そんないい話なんてこの世に存在しない」と警戒していたのもあったし(笑)その時働いていた丸の内のお店でもう少し勉強したいという想いもあったんですが。お断りしてから1年がたちまたご連絡頂いたんです。「まだあの話いきてる」と。それで思い切って山根シェフとご一緒することにしたんです。それで今三年目。自分の居場所になっていますね。
それではこの辺で
plateで出されている料理を
ご紹介しましょう。
アーティショーの姉妹店的こちらplateでは
山根シェフの料理がカジュアルにアラカルトで
楽しめるんです。お店の名前も「ぷらっと来てね」
的な昭和ダジャレ感満載のネーミングなのです。
山根シェフ以外にも旅する料理人山崎真人シェフが
現在plateで腕を振るっている。
ピサンリーとは食用タンポポだそうで
独特の苦みとホワイトアスパラの柔らかな食感と
カリッと仕上げたベーコンに半熟卵が爆発して
口の中でトロ~サク~シャキー!ぼわ~ん(‘ω’)
な感じなのです(意味不明)
ちょっと二度見してしまいました。
「たこやき」って(笑)見た目もそのまま(笑)
頂いてみたんですが、まず最初の食感に感動。
外がしっかりと「サクッ」ってしている。
サクッとしたあと噛み締めてみると
中は芋と餅の「モッチ~」という食感に
中からタコがバイプレイヤーばりに「待った?」
と現れて桂文枝(ex三枝)が
椅子から「プゥーーーー」って
言いながらスローモーションで倒れる瞬間を
映画館で見ているそんな料理です(意味不明)
山根シェフが「ウータンクランです」と
出されたのでそうか山根シェフもヒップホップ
聞くんだーと思ったら「ブータンブラン」でした。
わかる人にしかわからない話ですみません。
ブータンノワールという豚の血を
使用した濃厚なソーセージ料理は
食べたことがあるのですが、
「ノワール=白」という事は
普通のソーセージかな?と思いきや。
食べると普通の肉だけのソーセージではない。
キノコ?何とも言えない芳醇な香りがして
あー。白ワインで流し込みたい・・・
本当に素敵すぎます。
山根シェフの凄い所
山根さんの料理はすごい。
山根さんの料理で大変感動したのは
一度plateで山根さんが作るカレーを食べた時に
食べた方ならわかるとおもうんですが
食材が喜んでるんですよ。
全力で「ありがとぉーう」って言いながら
口に入ってくるんです。
そんなゆきえさんに山根シェフの凄い所を
きいてみました。
ゆきえさん
山根シェフは確かに凄いです。どこが凄いというとどんなお題にも「どうしたらできるかな?」とまず考える力が凄いんです。例えばお客さんが「トマトを焼いて皮をむいたのが食べたい」とわがままを言ったとしましょう。普通のシェフなら「そんなメニュー無いから無理」とか「できません」っていうのがオチなんですが、山根シェフはできる事を前提に話してくるんですよ。そしてやる時は完璧な状態のトマトを焼いた料理を出すんですね。そこが本当に凄くて。もう一人山崎シェフも同じ感覚を持っていて。あの二人はすごいです。あと、「野菜炒め食べたい」と言ったら本当に凄い美味しい野菜炒めが出てくるんです。食材の事を知っているからなんでしょうね。ただの野菜炒めじゃない。
もう圧巻の味ですね。
牛テール1本の赤ワイン煮込みを作るのに
ワインフルボトル4本を使うという。。。
ワインの奥深い香りとテールのトロリとした
部分と繊維質の部分がウマウマで
付け合わせた芽キャベツや春の野菜の
若い苦みと甘さにソースがピッタリあって
このソースの奥深さは瀬戸内寂聴さんが
「人は愚かなものです」と天を見上げた
その後私の方を向いて「特におまえな」
と言われたほど奥深い味わいとなっています。
山根シェフにはまた別に機会に
じっくりお話を聞く取材を行います。
最後に今回の主役ゆきえさんに
このコロナ禍の中、次の展望を
聞いてみる事になった。
きっと彼女なら何か考えているんだろう。
恵比寿新聞
ゆきえさん。いまこのコロナクライシス、今飲食店が苦境に立たされるなかでplateとして今後新しい展望を考えてらっしゃるのか?最後にお聞きたいと思います。
ゆきえさん
お店の壁紙を変えたいです!
最後まで茶目っ気たっぷりな
ゆきえさん。愛するべき恵比寿の人。
一刻も早くコロナが終息しplateでいつも通り
飲みかわしたい。
🏠plate(プラット)
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03-5422-9015
現在土日のみの営業
店内フードラストオーダー18時(20時close)
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