恵比寿西にある小学校「長谷戸小学校」が今年でなんと100周年という
節目に伴い今回恵比寿新聞では長谷戸100年の歴史という記念記事を制作いたしました。
長谷戸小学校は恵比寿西に位置する「恵比寿公園」の裏にある小学校です。
総卒業生数、11,311人。歴史は今年2012年で100年の歴史になる小学校です。
卒業生にはドリフターズ仲本工事さんや怪談でおなじみの稲川淳二さんなどがいらっしゃいます。
1969年までは「長谷戸町」という地名で現在の恵比寿西1~代官山町が今の町名でした。
さて、「長谷戸(ながやと)」の地名。何故「長谷戸」になったのでしょうか?
諸説様々ないわれがあるようですが
「代官山から下る「長」い「谷」の入口「戸」」が由来だそうです。
学校が出来たのは明治45年。当時は東京府豊多摩郡臨川第二尋常小学校という
名称だったそうでこちらが開校当時、明治45年の時の校門の写真です。
明治45年(1912年)4月14日に開校したその次の日の15日にタイタニック沈没事件や
7月3日には大阪の通天閣が完成。7月30日には明治天皇が崩御。
明治から大正に移り変わる激動の年に長谷戸小学校が開校したのでした。
こちらは大正末期の朝礼の模様。来ている服がみんなモンペなんですね。
大正15年に学校名称を「東京府豊多摩郡長谷戸小学校」と改称。
「長谷戸」という校名はこの時に初めてついてきたそうです。
しかし当時は「ながやと」ではなく「ながいと」と読まれていたそうです。
そして時代は昭和に流れていきます。
昭和7年東京市は15区制から35区制に移行する事に。そして大東京市が成立しました。
渋谷町が東京市に編入されることになり学校名称は「東京市長谷戸尋常小学校」となりました。
実際に渋谷区は、渋谷町、代々幡町、千駄ヶ谷町が合併してその時に誕生したそうです。
こちらの写真は昭和12年の長谷戸小学校の写真。その3年後の昭和15年
木造校舎から新しく新築をすることになりました。
この昭和15年(1940年)は第二次世界大戦が始まった年。
旧日本海軍の艦上戦闘機、零式艦上戦闘機(零戦、ゼロ戦)が出来た年でもあります。
この後、日本の情勢は刻々と変わっていきます。
翌年の昭和16年4月1日に国民学校令施行にともない学校名称も「東京市長谷戸国民学校」に改称。
この写真は昭和17年の学校同窓会の模様の写真だそうです。
またその翌年の昭和18年に東京府と東京市が合併した東京都が誕生。
学校の名称も「東京都長谷戸国民学校」に改称。めまぐるしい。
こちらが当時昭和18年の校舎の写真です。
この当時昭和18年(1943年)は日本軍がガダルカナル島から撤退。その模様をリアルに再現した
1998年に撮られた映画「シン レッドライン」は非常に有名な作品です。
この頃東京都でも大きな空襲がたくさんあり、戦中のさなか動物園では
「戦時猛獣処分」を発令。これに従って上野動物園では、
ゾウ、ライオン、トラ、クマ、ヒョウ、毒蛇などといった14種27頭が殺処分される
ような悲しい時代でした。当時の悲しい記憶を忘れるまいとこの問題を絵本にした
「かわいそうなぞう」は全国の小学校には必ずあり戦争体験を戦争の知らない
私たちに語りづがれる作品になったのはとても有名な話です。
悲しい時代は続きます。
昭和19年8月25日戦争は激化。長谷戸国民小学校の児童245名は
親元を離れ静岡県引佐郡井伊谷村と麁玉村に疎開を行ったそうです。
そして昭和20年5月24日の東京では関東大空襲が起こります。
この時恵比寿の小学校のいくつかは空爆により校舎が全焼。
長谷戸小学校も西校舎の6教室破壊されたそうです。
そして昭和20年終戦を迎えます
終戦の2年後昭和22年に学校教育法施行に伴って学校名称が変更。
今の「東京都渋谷区立長谷戸小学校」に改称されました。
その5年後に長谷戸小学校の校庭をアスファルト舗装。
平和な時代に突入していきます。
こちらの写真は昭和30年。学校給食の模様です。
この時代あたりからは食糧事情が改善され全国的に完全給食を実施することが可能となりました。
また「学校給食法」が制定され財政力の弱い地方自治体でも交付税と補助金で
全児童への完全給食が可能となって今の学校給食になります。
当時は何を食べてらっしゃったんでしょうね?気になります。
こちらも昭和30年ごろの校舎の写真です。
そして昭和37年に黄色い交通安全帽を校帽が制定されます。
時代は高度成長期、昭和47年に4階建て、8教室、プールができます。
昭和55年再び校庭拡張。新プール(25メートル)も完成しました。
その時の落成式での航空写真。
昭和62年には「夕焼け小焼け」の碑が完成しました。
皆さんご存知でしょうか?この「長谷戸小学校」別名
ゆうやけこやけの小学校
と呼ばれていることを。
実は作曲者の草川信さんは1917年(大正6年)から1927年(昭和2年)の間に、
長谷戸小学校の音楽の先生をやっていました。この事から「ゆうやけこやけの小学校」
と呼ばれるようになり昭和62年に夕焼け小焼けの石碑が建てられることになります。
そして時代は平成になり平成5年にコンピュータルーム、ランチルーム完成。
ランチルームというのは非常にユニークですね。
平成14年には校庭の土化(グリーンサンド)も完成。
そして今に至ります。
いかがでしたでしょうか?駆け足で書いた長谷戸小学校100年の歴史。
そんな長谷戸小学校で10月28日に「長谷戸フェスティバル2012」が開催されます。
長谷戸小学校100年記念事業実行委員会が主催するこのフェスティバル。
恵比寿新聞がチョコっと情報を公開
実はこのフェスティバルの超スペシャルコンテンツでもある
「長谷戸バザー」
これがですね。もうですね。やっぱり恵比寿のアップタウンだけあって
品ぞろえがよろしいっ!
いやらしく言うと
セレブ度が非常に高い
どうだ!!!!
まだまだ~!!!
なんで!?タップシューズまで!?(笑)
町内のバザーにタップシューズ
出してやったぜ~。ワイルドだろ~?(笑)
でもこの写真は去年の写真なんですね。今年は何が出品されるか!?
その他にも地域のお父さんお母さんが気合を入れて待ち受ける
焼きそば・焼鳥・ビールなどの模擬店のほか東京消防庁音楽隊による
100周年記念演奏や挑戦!クライミングウォールの体験コーナー
長谷戸広場なるストラックアウト・ダーツ・輪投げ・射的・くじ引き
そして!!!!!!!!!
先日恵比寿神社のべったら市でも素晴らしい太鼓裁きを見せていただいた
「恵比寿太鼓」も聞けちゃうんだぜ~。
乱れ打っちゃうぜぇ~
いやぁ~楽しみですね。
とにかく長谷戸地区の皆さん。100周年おめでとうございます。
恵比寿西はやっぱり活気が凄いですねー。