【25周年記念】恵比寿の老舗「吉柳」波乱万丈の25年を振り返るとそこには「文化」があった。

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皆さん恵比寿に長くいれば一度はこの「吉柳」(きりゅう)に行ったことは

あるはずだと思います。そして恵比寿に長く住む方は吉柳さんにはお世話に

なっていると思います。そんな恵比寿新聞も随分お世話になっているんです。

そんな「吉柳」も今年でなんと25周年!恵比寿の夜の文化を語るうえでこの

吉柳を置いて語れずとも言われるほどこの「吉柳」には非常に様々なエピソード

があり、知られていない過去も沢山あると思います。そんな吉柳の歴史を

今回、なんと吉柳さん本人からお聞きし25年を振り返るという企画でございます。

という事で今まで語られなかった吉柳の創業秘話や25年の痕跡をインタビューしました。

裸一貫から始めた屋台「吉柳」

今から25年前の1989年。恵比寿にはガーデンプレイスができる前のことです。

恵比寿生まれ、恵比寿育ちのこちら吉柳さん。丁度吉柳さんが29歳の時に

元々勤めていた銀行を辞め2年間世界を放浪。そして今の吉柳の原型となる

「屋台 吉柳」を明治通り沿い、現在の広尾の焼肉HACHI HACHIの場所でオープンする。

吉柳さん
元々こういう商売をやるなら「男は裸一貫から始める」ってずっと決めていて、まずは道ばたからやろうと思ってたんだよ。その当時恵比寿の屋台って言えば「由紀子」と自転車のおでん屋さんぐらいだった。もちろん先輩に筋を通すために「由紀子」には仕事が終わればよく皿洗いしようとしたけど、お由紀さんは洗わせてくれなかったね。「あなたは良いわよ」って。結構可愛がってもらってたね。今はそういう習慣はないけど、同じ商売を近くで始めるときにはちゃんと挨拶に行って恩義を尽くすのが普通だったよ。屋台のことはいろいろ由紀子で教わったね。

時はバブル絶頂の時期。明治通り沿いには「吉柳」の屋台へ行こうと

駐車する車の列でいっぱいだったそうです。しかも女性客が異常に多かったそうです。

吉柳さん
当時出していたのは七輪でなんでも焼けるようなスタイルでやってたんだよ。例えば魚も肉も。その他チゲ鍋とか人気があったのは「たこめし」かな。とにかくいろんな人が来てたよ。本田美奈子さんとかジョー山中さんとかもよく来てたね。もう二人とも亡くなっちゃったけどね。とにかくお客さんは当時この場所の近くにトゥモローランドの本社があったから女性の客は多かったよ。みんな気兼ねなくよく使ってもらって。とにかく知らない人同士もここに来れば仲良くなれるし。一人で来ても知り合いが増えるから流行ったんじゃないかな。あと当時は夜の22時過ぎると空いてる店が少なかったんだよね。

とにかく人がごった返し、通常カウンターに10人は座れるような屋台内

だけにとどまらず屋台の外には50人ほどが座れるような仮設の机やいす。

今では考えられないスタイルで屋台吉柳は大繁盛します。

当時の貴重な映像が残っていました。貴重映像です。

ちょっと時代を振り返ってみたいと思います。

時は1990年に入ったころバブル景気も冷めやまぬ当時日本では空前の

沖縄旅行ブームを作ったとされる伝説のJALのCM。米米クラブの浪漫飛行

当時の華やかさが手に取るようにわかる映像ですね。

その他にも東京を席巻していたのが「クラブブーム」

当時東京で話題だったのがファッション業界・芸能界・その他クリエイターも多く訪れた

芝浦にあったGOLDです。貴重な映像が残されていましたのでご覧ください。

実はこの「クラブ」と言われるムーヴメントと吉柳には密接な関係があります。

1989年~1994年の5年間「吉柳」は屋台で営業をします。その後、商いを屋台から

お店に移すこととなります。1995年。現在の「吉柳」がOPENすることとなります。

場所は駒沢通り沿いの恵比寿神社の反対側のビルの2階です。

吉柳さん
当時恵比寿は夜になったらお店が閉まるから夜中飲みに行けるところが少なかったんだよ。開いているお店って由紀子か鳥安かつぼ八って感じだった。それに加えて若い子たちはクラブとかに遊びに行くようになった時期だから夜2時3時朝5時って空いてる店なんてないわけでしょ。それが重なってお店に勝手に誰かがレコード持ってくるようになったんだよね。うちがターンテーブル用意して。そのうちDJが入るようになったんだよ。うちはその頃から朝までやってたからね。

恵比寿新聞
え!?今の業態とは全く違う感じのDJ BARみたいな感じだったんですか?

吉柳さん
いや。今と全く変わらないよ。屋台の時の料理を出したりしてたよ。でもみんな勝手にレコードとかもってきて盛り上がってたよ。だって踊ってたよ(笑)この狭い店で。

当時恵比寿にはMILKという伝説のクラブがありました。2007年閉店。

ロックを中心に様々なジャンルのパーティーが日々行われており、随分前に

亡くなった「川村カオリ」さんもMILKでよくDJしていた記憶があります。

そんな夜を楽しんでいた方たちが吉柳に訪れるようになります。

当時を知っている現在吉柳のスタッフでもありますラッパーの4CE fingerさん

もそんな吉柳に遊びに来ていたお客さんだったそうです。

4CEさん
俺が吉柳で働きだしたのが10年前ぐらいですけど、その前に吉柳によく遊びに行ってたんですよ。実は吉柳だけじゃなくて他にも変なおもしろいお店を吉柳さんがやっていたんですね。

恵比寿新聞
吉柳意外ですか?例えばどんなお店ですか?

4CEさん
俺より先輩の雷太君がお店番やっていたタコ公園の横の。お店の名前がなんだっけ・・・・

吉柳さん
あれこそ今恵比寿南にある「吉柳文化倶楽部」の前身的なお店だよ。タコ公園の横の今の山長のうどん屋がある場所に古い一軒家があって立て壊し前に飲み屋にしてやったんだよ。何年前だったかな。忘れちゃったけど。

吉柳さん
とにかくここはいろんな人が集まったね。合宿所みたいな感じになってたもんな。部屋の中でライブやったり。かなり実験的だったよ。

実はこのお店は既に恵比寿の遊び人の中では伝説になっている話。

お店の名前が定かではなかったのですが夜な夜な恵比寿に面白い人が集まり

文化的なスポットになっていた。丁度タコ公園の横にあったお店が現在の

「吉柳文化倶楽部」の前身のお店だったという事は今回初めて聞きました。

4CEさん
その他にも「いとう酒店」っていう恵比寿で一番早かった立ち飲みのお店も1年ぐらいやりましたよね?

吉柳さん
あー(笑)やったね。あれは面白かったよ。当時恵比寿には立ち飲みとか角うちっていうスタイルが無かったんだよね。酒屋が辞めるってことでそこを借りて立ち飲み屋さんをやったんだよ。お店閉めた後に「立ち飲みブーム」とかきたよね(笑)

4CEさん
そこで俺パーティーしてDJやりましたね(笑)

恵比寿新聞
DJですか?酒屋で?

吉柳さん
そうそう。常に音楽はあったね。当時から。

いわゆる「立ち飲みブーム」の先を行っていたお店を1年という期限付きでOPEN。

全くそういう文化のない所に吉柳さんは実験的にお店を展開して皆の集まる

文化的なスポットを作ってきたわけです。さて、今の吉柳と言えばカレー。

朝カレーの元祖ともいえる吉柳のカレーにはファンが非常に多いです。

でも屋台時代にはこのカレーありませんでしたよね?実はこのカレーは

屋台以降にできたそうで。カレー誕生秘話を吉柳さんから教えてもらいました。

吉柳のカレーが生まれた話

吉柳さん
吉柳がお店になってからそこで働いていたアルバイトにネパール人がいたんだよ。名前はラタンっていうやつで。夜な夜なみんな集まって朝までワイワイやってたら〆にラタンがカレーを作るんだよね。大体1時~2時ぐらいから仕込んで出来上がるのが朝の5時ぐらい。そのカレーがかなり好評で。それが定番化して吉柳のカレーができたんだよ。するとみんなそろって「吉柳の朝カレー食べに行こうよ」って流れになって朝方みんな〆にカレーをうちに食べに来るようになったんだよね。

今ラタンさんはネパールへ帰られているそうですが、忠実にレシピを再現して

今も変わらぬ味でファンを魅了し続ける吉柳の顔となっています。恵比寿鯨祭でも

鯨のカレーを現在の吉柳文化倶楽部の店長「檀上雷太」さんが作ってくれました。

常に進化し続ける吉柳のカレー。雷太さんは4ceさんと同じくラッパーなのです。

走るようにこの25年吉柳の痕跡をオーナーの吉柳さんから駆け足でお話を

伺いましたがまだまだ語りつくせぬ秘話もたくさんありますがそろそろこの辺で

吉柳さんに今まで25年間恵比寿の「夜の文化」をクリエイションしてきた中で

今後の展望についてお話を伺ってみました。

常に進化し続ける事

吉柳さん
ずっと進化し続けてたいよね。昔は携帯もパソコンもない時代だから自分で情報を探しに行かなきゃいけなかったから昔とはちょっと違うと思うんだよね。例えば屋台をやっているときは来ている人のモチベーションが「誰かと知り合いたい!」って人が多かった。だって屋台に入れば隣の人にお酌して「どうも初めまして」から入るのが当たり前の時代だったから。その分瓶ビールは物凄いコミュニケーションツールだったと思うよ。でも今は話しかけるとめんどくさがるような時代になったしね(笑)でもそれが悪いわけじゃなくて「時代は流れる」からその時の時代にあった場所・雰囲気・人で勝負していたよね。

25年この先は・・・

吉柳さん
最近「うどん」も進化するべきなんじゃないかな~って思うようになって。まるがめ製麺のメニューなんてすごいよ!なので最近吉柳的にうどんを進化させてしっかりと後世に残していけるような文化を作ろうとしてるんだけど。今吉柳と吉柳文化倶楽部でうどんが食べれるから。そういう昔からある文化を今風にアレンジして後世に日本の文化を引き継いでいくって所に力を入れたいね。

という事で駆け足でお送りしました「吉柳25年の痕跡」

恵比寿新聞が思うに、昔の現状と今の現状は全く違うわけで「昔はよかった~」と

いう人が多い中、吉柳さんからは一言もその言葉が出ない。何故かと取材後考えました。

わかったのは吉柳さんはいつも「今」を生きているので過去は消化していること。

そういう人に人は共感しやがては大きな渦になりムーブメントという文化的な流れが

できていくんだなとお話を聞いていて思いました。とにもかくにも吉柳さん。

25周年おめでとうございます!もしかして吉柳meet恵比寿新聞で近々イベントが

あるかもしれません。今から何をやろうか考え中。そんなわくわくをくれる吉柳さん

に大きなリスペクトと共にこれからも我々の夜の「止まり木」として君臨していただきたい。

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吉柳(キリュウ)
東京都渋谷区恵比寿南1丁目2−12
03-3711-9876 24時間営業

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