撮影カメラマン「恵比寿サカミチ」
皆さん「パリなかやま」という人物をご存知だろうか?
恵比寿の方なら親しみのあるこの方。そう。
恵比寿横丁のスターでもあり毎夜ギター片手に思い出の歌を歌ってくれる
さすらいの「流し」それが「パリなかやま」。
実は今回パリなかやま事「仲山卯月」によるユニット「コーヒーカラー」の
通算5枚目のアルバムの発売を記念してロングインタビューをさせていただく事になりました。
パリなかやまの誕生から多感な青春の日々、そして社会との葛藤など。
その前に「パリなかやま」とはどんな人物なのか簡単にご紹介したいと思います。
※お仕事中の風景
生まれは赤羽、育ちは浦和。中学三年生からバンドブームの影響で仲間とバンドを始め
最初に衝撃を受けたミュージシャンが現在の作風とはかけ離れたなんと
Thin Lizzy
という超ドハードなアーティストに影響を受けたそうです。
パリなかやま
若い時ってなんでも刺激のあるものに興味があるじゃないですか?
僕もそうで初めはX-JAPANなどを聞いてはバンドで演奏したりしていたんですが
どんどん刺激を求めてハードになっていき最終的にはThin Lizzyやメタリカなど
好んで聞くようになったのが音楽の魂に火がついた最初の衝動ですね。
そして現在のソフトな作風に影響を受ける最初のアーティストに会います。
パリなかやま
いつもハード路線の音楽ばかり聞いていたので他のジャンルの音楽も聞いてみようと
スティービーワンダーのインナービジョンというアルバムを聴いたんです。
これが本当に感動して。かなりこのアルバムに影響を受けていると思います。
恵比寿新聞
しかし、まだスティービーワンダーなどの楽曲と
現在のパリさん作風や流しの時の印象ってかけ離れていますよね。
パリなかやま
はい。その後1999年に1枚のコンピレーションアルバムに参加したんです。
これが最初のレコーディング体験となるんですが、その頃、スティービーワンダーの
影響もありAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)などの作品などに影響を受けて
まぁご存知の通り「山下達郎」や「シュガーベイブス」なども聞いていたわけで
やっぱり日本人として歌に込めるメッセージって重要だなーと思っていたんですが
当時のAORって歌詞があまり思い出せない様な曲が多くて。
パリなかやま
で、2000年にバンドを結成することになったんですよ。当時は3人。それがコーヒーカラーなんですね。
当時はAORに影響も受けていたこともあってシティーポップ的な曲を作っていたんですがね。
2枚のミニアルバムをリリースして一応スマッシュヒットとなったんですが
メンバーの脱退や参加(7人まで増加)などもあってあんまり安定しない
日々が続いて自身も生活の為に仕事をすることになって。
そして、シティーポップから社会派のユニットへ。
パリなかやま
メンバーの脱退が切っ掛けで結局ピアノと私の二人だけになっちゃったんですよ。
当時は愛だの恋だの歌ってる方が多い中、僕らだけは違った「社会派」の印象を打ち出した
全く新しいユニットにしようという事で最初に作った曲が
サウナ
って曲なんですけどね。
コーヒーカラー サウナ
————————————————
背広をひきずり彷徨えば
同僚誘ってどこ行こうか
ムシムシするよなサウナなんて良いですね
そいつも言うから
戦う男は汗かいて
転覆しそうな船を漕ぐ
うだつのあがらぬ仕事についてそして将来の
ことを話した
そいつはすこぶるハンサムで
OLあしらう罪な奴
けれども今日は神妙な顔で目を伏せて
俺に語りだす
男と女が正しいわけじゃないと
男と男はあなどれないのだと
夜霧たちこむ空の下
若気の至りは大学生
酔って眠って春のウララ先輩に
導かれたと
記憶は半分モヤの奥
天井のシミは覚えてる
火照ったからだ立ち漕ぎして行く朝帰り
心は唱えた
男と女が一番ではないと
男と男は通じ合えるのだと
殺人事件は多いけど
おかしな事件も増えてきた
一寸先は闇のような危うさに
俺は汗をかく
サウナは次第に熱帯びて
人の身体を緩めていく
打ち明け話に友情って何ですか
答を探した
男と女と決まったわけじゃないと
男と男の歴史も根深い
男と女と年配と子供らも 貫け
心のおもむくままに行け
————————————————
恵比寿新聞
サウナって(笑)いきなり行っちゃいましたね。
パリなかやま
その間色んな場所でライブをやっている中で、
「最後に盛り上がる曲有った方が良いよね」となり
ふっと思いついたのが「乾杯」というキーワードだったんです。
当時僕は生活の為に営業の仕事をして日々外回りしてたんですが
その会社の営業部が閉鎖になるという事になり、今までお世話になってた方
や仲が良かった同僚と最後の別れを思い出を歌にしてみたんです。その曲が
「人生に乾杯を!」という曲なんです。
恵比寿新聞
実際この曲が、たくさんの方に聴いてもらうきっかけを聞かせてください。
パリなかやま
北海道の有名なFM局の看板番組のエンディングに使用していただき
北海道で初めて火がついたんです。1日に必ずかかる定番ソングとして
大プッシュを受けたんですね。その曲を聴いた某社長さんがこの曲を
大手レコード会社に売り込んでとんとん拍子でメジャーデビューさせて
いただく事になって。
パリなかやま
結局北海道から火がつきだしてそれを聞きつけたのかもう亡くなった
筑紫哲也さんの金曜深夜便という番組にも出させていただいて。
結局メジャーデビューも果たしセールスも非常に好調。
恵比寿新聞
しかしやはりそこまで社会現象的になった事で
調子に乗っちゃった的な事はなかったんですか?
パリなかやま
もちろん調子に乗ろうと思えば乗れたんですが、
売れてから事務所からお給料で生活するので派手ではないですが
今思えば非常に「時間」という物を贅沢に使わせていただいたのかな
と思いますね。
恵比寿新聞
やはりヒット曲を出したら、次の曲のプレッシャーって
大変じゃなかったんですか?
パリなかやま
「人生に乾杯を!」の後から音楽業界自体が低迷期の初期症状が出ていて
CDが売れないという時代に突入していったんですね。実際には非常に
プレッシャーもありましたしアルバムもこの後何枚か出したんですが
思うようなセールスにはなりませんでした。
パリなかやま
そんなこんなしている間にいつの間にか亀戸でパリなかやま名義で
「流し」をすることになって。これが最初の「流し」デビューですね。
その後亀戸も不景気になり恵比寿横丁という今をときめく場所で
歌わせてもらうというきっけかを頂けたんですよ。
恵比寿新聞
恵比寿横丁で色んな思い出があったと思うんですが
パリさんが今までで一番覚えているエピソード聞かせてください。
パリなかやま
この間亡くなった「桑名正博」は横丁によくいらっしゃって
結構可愛がってもらっていましたね。桑名さんが来るとみんなやっぱり
桑名さんの歌を聞きたがるじゃないですか?だからお客さんの間でも
「パリはいつ桑名にギターを渡すのか!?」的なタイミングがあって
桑名さんに渡した瞬間「まぁ下手なギターやけどな」と言われて
桑名さんもお客さんへのサービスでよく歌って頂きました。
恵比寿新聞
やっぱりあの曲ですよね
パリなかやま
セクシャルバイオレットナンバーワンじゃないですよ。
パリなかやま
桑名さんは特に僕の曲で「ホテル・ニュー亀戸」って曲があるんですが
その曲をよくリクエストくれて、それで、くしゃくしゃの1万円を僕の
ポケットにねじ込んでくれたりと本当にお世話になりました。
恵比寿新聞
本当にご冥福をお祈りします。
パリなかやま
あと、よく横丁のワインバーに来てくれていた80歳ぐらいの常連の御婆ちゃん
が居たんですが御婆ちゃんの若い時の時代の流しの話をたくさんしていただき
「今の時代にこそ流しが必要なのよ」って色々と教わりました。
その御婆ちゃんも去年他界されて。なんだかさみしいですね。
僕は歌い続けるしかできないんですが。
撮影協力:恵比寿BAR CHI-KYU
恵比寿新聞
それではそろそろニューアルバムの「迷走」について
お話を伺えればと思いまして。なぜアルバムの名前を
「迷走」とつけたんですか?
パリなかやま
いや、今の自分をさらけ出していきたいと思って
なのでそのままなんですよね(笑)
恵比寿新聞
あら?パリさん迷走しちゃってる感じですか?
パリなかやま
そうですね。人生は色々とある中で自分が本当に歌いたいことが
詰まったアルバムなんですが。聞いていただけました?
恵比寿新聞
はい。一曲目のクリスマスソングには度肝を抜かれましたね。
パリなかやま
今ってなんでもアメリカナイズされすぎていてクリスマスなんて
最たるものじゃないですか?今回のクリスマスソングはごく日常の
日本の家庭のささやかなクリスマスを曲にしてみたんですね。
恵比寿新聞
そうなんですね。そして恵比寿新聞が良かったと思える曲が
「エンドレス」という曲ですね。
パリなかやま
ありがとうございます。実際に今もなお不条理な事がたくさん
起こっていますし、社会においてもやりたくない事をやってる方
ってたくさんいて、それでももがきやっている事を曲にしてみました。
恵比寿新聞
その名はミスターエンドレスって歌詞が刺さりますね。
働く人の応援歌ですね。勇気づけられました。
しかし今回のアルバムは非常に音楽性豊かなパリさんの広さも
垣間見れるアルバムだと思うのですが。一言で言うと
「幻想的」でした。今回は長い時間インタビューに付き合って
頂きありがとうございました。
仲山卯月ことパリなかやまのユニット「コーヒーカラー」のニューアルバム
「迷走」は直接「恵比寿横丁」でパリさんを見つけて購入してください(笑)