記憶を記録に「おいしい記憶」

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移り変わりゆく「恵比寿」。恵比寿新聞をやっていますと「昔は5のつく日が縁日だったんだよ!」とか「昔ここは牧場だったんだよ」などなど、知らなかった昔の恵比寿の姿をたくさんお話聞かせていただきます。でも記憶を記録しないといつか忘れ去られてしまう。風景だけでなく下町風情や文化も。そんな最中恵比寿新聞に素敵な手紙が届きました。生まれも育ちも「恵比寿」の方から素敵な「記憶」を文章で頂きました。是非皆さんにもご共有させてください。

おいしい記憶                   

もう40年近く経つだろうか。この街に自転車でおでんを積んだリヤカー屋台を引く、おでん屋のおじさんが来ていたのは。おいしかったな。

自転車のハンドルに真鍮の鐘がぶら下がっていて、自転車が動くたびにカランカランと大きな鐘の音が響いていた。

“あっおでん屋さんが来た”とすぐわかる鐘の音。おじさんのおでんの店開き場所は決まっていた。昼前は神社の前、午後からお風呂屋さんの前、夕方からはスーパーの前。神社や道路で遊んでいた子供たちはお腹がすくと小銭を握って屋台に駆け寄る。四角い鍋にステンレスの仕切りの中、奇麗に並んだおでんの数々。竹輪、大根、ボール、卵、厚揚げ、こんにゃく、等々。子供たちは指をさして、おじさんに「これ」と言うと「あいよ、50万円」と軽妙な昭和言葉で串にさして渡してくれる。中でも子供たちに人気だったのは、真っ赤なフランクフルトソーセージ。

家から鍋を持って夕飯用にと近所の奥さんたちも買いに来る。おじさんは「はいよ、おつり300万円」と笑顔で返す。小さく四角く切った経木にスプーンですくった辛子を塗ってくれる。

昨日食べたのにカランカランが聞こえると、また食べたくなったものだ。

聞くところによると、おでんの味はおじさんのお母さんが仕込んでいたそうである。綿の白い帽子に白衣の上着、台を拭く布きんはいつも真っ白できれい好きのおじさんだった。

 すっかり顔なじみの息子や甥っ子は、夕方店じまいして帰るおじさんのリヤカーの後を押してあげると、おでんのボールを一つ串にさしてくれたと喜んでいた。 時たま、おじさんから「自販機のワンカップ大関を買ってきて」と頼まれた時は「赤いフランクフルトソーセージが貰えるんだよ」と嬉しそうに話していた。

しばらくするとカランカランの音が街から聞こえなくなった。

どれくらいたっただろうか、ようやくあの鐘の音がした。息子と一緒に喜んで追いかけたら、おじさんではなかった。眼鏡をかけたおじさんの弟さんだと言った。病気になったおじさんの後に変わって、屋台を引いて回っているそうだ。

おでんのおいしい出汁の味は変わらないのに、なぜかあのおじさんの引く屋台の味と一つ違った気がした。笑顔と洒落た言葉で返す温かいおじさんが、さらにおでんをおいしくしていたのかもしれない。

懐かしいおでん屋のおじさんの話を息子とした。あの屋台のおいしいおでんには負けるが、明日はおでんにしてみようかな。

                                                   

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