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幻の画家「橘小夢」の原画が恵比寿にあった

皆さん「橘小夢(たちばなさゆめ)」という画家をご存知でしょうか?

古くは大正時代から昭和にかけて江戸川乱歩の挿絵や雑誌や小説の挿絵を

中心に木版画、日本画などを手掛けたびたび女性の魔性を表現し、

内閣省から発行禁止処分をうけ「幻の画家」とよばれた画家なのであります。

そんな「橘小夢」の御子息が恵比寿在住の方でして

なんと恵比寿新聞だけに原画を見せていただける

という素晴らしい機会に恵まれました。


橘小夢(たちばなさゆめ)
1892-1970 大正-昭和時代前期の挿絵画家。
明治25年10月12日生まれ。洋画を黒田清輝(せいき),日本画を川端玉章にまなぶ。雑誌や小説の挿絵を中心に,版画,日本画を手がける。民話,伝説をモチーフに女性の魔性を表現,たびたび発行禁止処分をうけ,「幻の画家」とよばれた。昭和45年10月6日死去。77歳。秋田県出身。本名は加藤凞(ひろし)。版画に「水魔」,挿絵に矢田挿雲(そううん)「江戸から東京へ」。

橘小夢氏の生まれは秋田県。父は漢学者で「秋田魁新報」の創設時の発行人として

活躍する家系。そんな父の影響を色濃く受けていたそうです。

しかし幼少の頃から病弱であまり外では遊べない子だったそうで乳母から

諸国の民族伝統の話や奇談物語を子守唄のように聞いて育ったそうです。

その後母が死去。16歳の時に東京へ上京。麹町に住み洋画家黒田清輝に絵を学び

その後日本画の川端玉章に学ぶ。この頃から作家が画家かと進路を迷うが画家を志す事を決意。

17歳で自作の和歌をまとめた「夢」を発表。その後挿絵や雑誌の表紙を描くようになり

「淑女画報」や「女学世界」などの当時の流行りの雑誌の表紙などを手掛ける。

31歳で「さゆめ選書集」を発行。この時「嫉妬」という名画が生まれる事になります。

実際に原画を見せていただきました。

題材となったのは「苅萱物語(かるかや物語)」という平安時代のお話。

築後(九州)の侍、加藤左衛門尉繁氏(かとうさえもんのじょうしげうじ)

は日頃仲の良い正室(奥さん)側室(2番目の奥さん)がスゴロクをして

遊んでいたあと盤を挟んで昼寝をしているところに行きあたった時の話。

二人の姿は恐ろしい物であった絵です。

嫉妬とは怖い物ですね。うわべは仲良く取り繕っている二人なんですが

本心は互いに憎み嫉妬し合っているのだと彼は知ったそうです。怖いですね。

この頃の橘小夢は画商を通さずに自費で出版するなどのDIY精神で作品を発表していた

為、画商による流通経路を経なかった為、現在「橘小夢」の作品を目にする機会が少ない

のではないかと言われているそうです。

さて、この作品を世に出した橘小夢は32歳で結婚します。

奥さんは盛岡出身の和洋裁の仕事をする「ときよ」さんという女性。

小夢は生来病弱で生活の基板も出来ておらず行くすえに苦労を掛けてはと

小夢さんは消極的だったそうです。ですが素直で他人思いの小夢にときよさんは好感を持ち

その思いに結婚を決意。かけがえのない内助を得て作画に励みます。

当時の事を息子さんである加藤さんにお話を伺ってみました。

加藤さん
当時は母が和洋裁の仕事や洋裁を教える先生などで生計を立てていました。
とても貧乏だったんですよ。うちは。その当時は戦争の最中で父のような
作風は受け入れられなかった時代背景でもありました。

「水魔」という作品があります。昭和7年の頃の作品。小夢40歳の時の作品です。

河童にとりつかれて水底に沈んでいく女性が描かれた絵なのですが

三省堂で開催された第一回版画作品個人展覧会に出品した後、内閣省から

発禁処分を受けたそうです。裸体が問題だったそうです。

しかし溺死をモチーフにしている絵なのに美を感じます。こちらです。

そして42歳で日本三大怪談「牡丹燈篭」を発表します。

牡丹燈籠とはご存知の方もいらっしゃると思いますが日本では有名な怪談。

大正5年から昭和9年にかけて数場面づつ作成している。

美しさと妖艶さとは本当に紙一重だと思います。

その後発表されたのは三代目澤村田之助を描いた墨版画です。

三代目澤村田之助とは幕末から明治にかけての歌舞伎役者で屋号は紀伊國屋。

美貌の女形として人気を博したが、後年脱疽により四肢を切断。

それでもなお舞台に立ちつづけた悲劇の名優。

「坊主をとち狂わせ、男をも女をも蕩けさせた美貌の田之助は、しかし、幕府が滅び江戸が東京となるのと符節を合わせるように、手足の指先から肉が腐っていく病におかされ、役者の命である四肢を切断せねばならなくなる。折りしも、団十郎の提唱する演劇改良が、幕末の江戸歌舞伎の持味である残虐美を駆逐する時期であった。田之助は、まさに、その追放されるべき残虐頽廃の象徴的存在である。両手両足を欠いた姿でなお舞台に立ち続け、ついに発狂して座敷牢に閉じ込められ、自ら命を絶った。」
(皆川博子、「青が黄昏の空のように」2006年)

橘小夢の作品には壮大なバックボーンと人間の儚さや妖艶な部分が押し出ている

作品が多く見るだけに留まらず書かれた題材に関して調べているととても面白い。

しかし何故当時はそんなに注目されなかったのでしょうか?時代背景もあるのでしょうね。

しかし没後再び注目される画家として様々な分野で取り上げられると思った矢先!!!

今晩「開運!なんでも鑑定団」で取り上げられるんです

凄いタイミングですよね。没後評価される画家としてはゴッホやモジリアニですが

「橘小夢」もジャパンビューティーとして再認識されてくるんでしょうね。

そして今回は恵比寿新聞が特別に原画を見せていただく機会がありましたが

なんと6月30日まで文京区にあります「弥生美術館」にて「魔性の女」挿絵展で

橘小夢の原画が見れるんですね。魔性の女展では橘小夢ほか泉鏡花や谷崎潤一郎など

日本の魔性の女を描いた挿絵展が開催されています。

そしてこの企画展「魔性の女」が書籍で出たそうです。

恵比寿の有隣堂に置いてるそうですので見てみてはいかがでしょうか?

海外の人にも最近は人気のようで高値で作品の取引がされているそうです。

そんな素晴らしい作品が恵比寿の街にちゃんと保存されているとは本当に

素晴らしいことだと思います。貴重な機会を頂きありがとうございました。

最後に橘小夢はこんな言葉を残しています。

静かに目を瞑って、闇に咲く花を見つめるような心持で
自分の画を想う時ほど、私の幸福な時はない。
幼い頃、子守唄のように聞いた物語は、いまでも私を
夢の国へと誘ってくれる。荒んだ淋しい世間を離れて
諸国の伝説や物の本の種々相を見い出し、一人幻を書く時
私の魂はよみがえる。幻を描く時にのみ、私の心は忘我の境にさまよう。

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