恵比寿新聞は東京恵比寿の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

【後編】恵比寿鯨祭で集まった募金を宮城県石巻牡鹿に持って行きました。

台風の影響で電車がストップしていたり、サッポロ本社のはハルニレの木が倒れたり

と恵比寿でも台風の影響がありました。皆さん十分ご注意ください。

さて、昨日の前編からの続きです。恵比寿の情報で無くてごめんなさい。

あまり興味が無いかもしれませんが震災を忘れない為にも記録として。

昨日触れた「牡鹿のれん街」。復興商店街としてNPOの協力でここ鮎川にもできました。

全部で16店舗のお店が軒を連ねています。我々東京の人間は今は普通の生活に戻って

いますが、ここ鮎川はまだまだ復興途中。買い物すらできなかった状態にこののれん街が

できました。それでは中を見てみましょう。

こちら日用品・食品・衣料・雑貨を扱う「東洋館ざっか屋さん」のお母さんに出会いました。

こちらを切盛りする武田恵美子さん。おばあちゃんのお店も津波で流されました。

お兄さん新聞の人でしょ?

たくさん宣伝してお店に一杯お客さん呼んでね

丁度僕は恵比寿新聞のTシャツを着ていたのでお婆ちゃん新聞社の人だと思ったんでしょう。

「うん。しっかり宣伝しておくからね」と言って色々とお話を伺いました。

お婆ちゃん
「ちょっと前まではボランティアの人たちがのれん街にたくさん来ていてくれたんだけど・・・
 もうね。2年も経ってボランティアの人も来なくなってのれん街も寂しいものよ。」

お話によると当時震災直後はボランティアの方もたくさんいらっしゃっていたが

現在は復興も徐々に進み市政や下請けのゼネコンの方が主に復興を行っている。

おばあちゃんそんな難しい事わからないけどもっと一杯人が来てほしい。

昔の観光地だった頃の牡鹿のようにまたたくさんの人が来てほしい。

と仰っていました。ただ僕は御婆ちゃんの写真を撮ってお話を聞く事しかできませんでした。

すると御婆ちゃんが最後に

よぐきたね。私らも大変だけどあんたもがんばんだよ

と言われて逆に元気をもらえました。

震災前は港でお土産屋さんを営んでいた「カクト商店」さん。恵比寿鯨祭の開会式に

わざわざこちらの和泉さんご夫妻が来て頂き交流が続いている。

和泉さんが一冊のアルバムを出してきた。和泉さんとても無口な方で自らお話されないような

御方なんですが、このアルバムを出して和泉さんの口から色んなお話が聞けました。

和泉さん
震災よりもっと前は捕鯨の街として栄えたんです。捕鯨が禁止になり調査捕鯨になり徐々に
町は元気がなくなってしまった。そしてこの震災で何にもなくなった。昔はこんな町だった。

とアルバムには昔の街の写真と震災の有った日の写真が一緒に入っていました。

その中には昔の牡鹿鯨まつりの写真も有った。

和泉さん
それはそれは盛大な祭でした。牡鹿と言えば鯨まつりというほど。
震災があってずっと自粛してたんだけど今年はやっと復活で来て良かった。

お写真の中には盛大に開催された在りし日の「牡鹿くじら祭り」の姿がありました。

沿道にはたくさんの人。そして山車。捕鯨によって栄えた牡鹿の姿がありました。

そんなお話を聞きながら牡鹿名物の鯨の刺身の試食を頂きながら、ふと鯨祭のメンバーが

皆さんも一緒に食べませんか?

と一般のお客さんに声をかけるとあっという間にお客さんの長蛇の列。

そのうち恵比寿鯨祭メンバーは試食スタッフとして声を出して

「おいしい鯨の刺身いかがですか~!!試食やってマース!!!」となる。

さすが恵比寿鯨祭クリエイティブディレクターのボンジュールイシイさん。

イシイさんは石巻で「ありがとうハウス」というコミュニティセンターをボランティア

している。その話はもう少し後で。見る見るうちにお客さんの長蛇の列。

結果たくさんの鯨が売れました!

こういうイベントごと慣れてますからね~鯨祭メンバー。お役に立てたと思います。

さて、その他にもこんなお店もあります。

クジラの骨や歯でアクセサリーを作るお店や

鯨の歯で作る印鑑屋さん。これが見事でして、象牙の印鑑よりも質感がよく

使い続けると朱肉を吸い独特の模様が現れる素晴らしい印材なのです。

こちら30年使い続けた鯨の歯の印鑑。朱肉がしみ込んでいるのがわかると思います。

その他にも鯨の革製品。震災でたくさん流れてしまったそうですが唯一残っている

鯨の皮をなめした生地を見せてもらう事が出来ました。

この皮でお財布やバックなども作る事が出来るそうです。

その他にも海産物が楽しめる食堂やお土産屋さんもたくさんあります。

さて、牡鹿鯨まつりに戻ってみましょう。

会場では2000食の振る舞い鯨が行われておりました。

その他にもホタテやタンカク牛の焼肉なども振る舞われており

長蛇の列になっておりました。

その他たくさんの鮎川の皆さんと仲良くなれました。みんな本当に元気でエネルギッシュ。

大きな被害を受けてなお「がんばるぞ!!」とポジティブに活動されている鮎川の方達。

僕らも見習うべきところがあると思います。負けない・めげない・あきらめない。

恵比寿から元気づけようと思ってきた牡鹿。逆に元気をもらってしまいました。

震災は過去のように思え、僕らは通常の生活に戻っています。テレビでは震災の後を

報道する番組も少なくなってきました。しかし今の現状はまだまだ復興途中であり

色んな問題もあります。でもそんな事に負けないで一生懸命活動されている牡鹿だけに

とどまらず被災された地域に住む方達を尊敬します。そして忘れずずっと応援し続けたい

恵比寿鯨祭は毎年「牡鹿鯨まつり」を訪れたいと皆で思った瞬間でした。

そして「牡鹿鯨まつり」も終わり帰るバスの中、窓の外を見てみると

牡鹿鯨まつりのスタッフの皆さんが手を振って見送ってくれました。

どこからこんなホスピタリティーが生まれるんだろう?心の奥が熱くなりました。

元気を僕らが持っていくどころか逆に牡鹿の方達から頂き「また来年も来てね!」

と。必ず来年も訪れたいと思います。僕らもできる事からコツコツと続けていける

そんな祭にしたいと思いますし恵比寿の皆様のお力も必要です。よろしくお願いします!


帰る車中、窓の外には海に沈む夕日。本当に牡鹿って良いところです。

そして翌日・・・

恵比寿ビール坂祭りが毎年応援している「女川」に行こうという事になりました。

通常ならそのまま帰る予定でしたが皆牡鹿でパワーをもらいなんとしてでも行こうと

いう事になり急遽予定を変更して車を走らせ女川に向かいます。

恵比寿ビール坂祭では毎年女川から1500食分のさんまを購入してつみれ汁にして

恵比寿の住人に振る舞っています。そして義援金の募集も行い毎年応援を続けています。

そんな女川の状況はついた時に絶句する物でした・・・

女川の被害はひどい物で死者約500人以上、約66%の家屋が全壊した地域でもあります。

写真をご覧になればわかると思いますが未だ傷跡が残る女川。

港から近くの江島共済会館は津波で16m流されたそうです。4階建てのビルが倒れてました。

この共済会館の向かいには七十七銀行があり、残念な事に4名が亡くなり、8名の方が

いまだ行方不明という悲劇がありました。

高台に避難されていた方は無事でした。丁度共済会館の目の前に病院があり

皆ここで非難していた方が撮られた映像は沢山のテレビで流れてご記憶のある方も多いはず。

丁度この日はNWIOの方々による海に祈りをささげるフラの儀式が行われていました。

毎年この時期に行われている儀式だそうです。たくさんのメンバーの方が海に向かい

祈りを捧げていました。祈りはとても大事な事だと思います。そして続ける事。

恵比寿ビール坂祭りもこうして復興支援を続けている。何か自分にできる事から

ってとても大事な事ですし「続けることが大事」だと思います。

恵成商店街の皆さんの活動は素晴らしい物だと思います。恵比寿新聞も応援します!!

そして恵比寿鯨祭一行は石巻に戻ります。

我々が向かったのは恵比寿鯨祭のクリエイティブディレクターを担当してくださった

我らがお祭り隊長「ボンジュールイシイ」さんがボランティア活動する

石巻ありがとうハウス

に行ってきました。ありがとうハウスとは被災された方と応援される方がつながり、

震災の風化を防ぐプロジェクトであります。

ありがとうハウスのある場所は石巻市門脇町というとても被害の大きかった場所にあります。

門脇町は元は人口5000人ほど暮らす街でしたが500人以上の方が亡くなった街です。

ありがとうハウスのある場所は元々石巻焼きそば味平というお店でした。店主の尾形さんは

この地でお店を切盛りしていた最中に被災。当日は奥様とお店を営業していましたが

津波が来るという事で外に逃げようとした時に津波に合います。尾形さんは流され

奇跡的に屋根の上に登る事ができ生還しましたが奥様は未だ行方不明のまま。

「津波が来た!」という奥様の声のあと津波が押し寄せたそうです。

この日は尾形さんは別のイベントで石巻焼きそばを出店されていてお会いできませんでした。

ありがとうハウスに訪れた方は1枚のプレートにメッセージを書きます。1枚500円。

皆さん思い思いの応援メッセージや来た時の感想を書かれていました。

被災された方と応援されている方のコミュニティースポットとして

そして今もまだ復興途中の石巻で起こった震災の事を風化させないというプロジェクトは

とても重要な事だと思います。何度も何度も言いますが「忘れてはいけない」ですし

まだ復興途中なので応援がまだまだ必要だこの地に来て思いました。

恵比寿新聞もプレートを書かせて頂きました。

東北はまだまだ応援が必要です!

恵比寿新聞が今回行って思ったのは「復興途中」なんです。まだまだみんなの力が必要。

僕も行ってみて「もう復興しているだろうな~」と思っていたら絶句しました。

建物の復興以外にも東北の皆さんの生活や産業・雇用など、まだまだ復興途中なんです。

なのでみんなでできる事から継続的に行う事はとても重要な事だと思いました。

僕らが今普段の生活を送っている裏側にはまだまだ復興途中の東北の現状があると

いう事と、幸せに生活できている人が少しでも東北の事を思い、少しでも支援を続ければ

きっと早く東北が復興すると思いました。何ができるんだろう?何かできる事はないかな?

とこの記事を読んで一度考えるきっかけになれば幸いです。

忘れないで!応援をつづけよう!!

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