((編集後記))街と人とメディアのつながりに大きな可能性を感じた2016年 恵比寿じもと食堂編

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いよいよクリスマスも終わり今年もあと3日。みなさんにとって今年はどんな年でしたか?振り返り記事第二弾目。第一弾はCOMMON EBISUができるまでを書かせていただきましたが二弾目は今年2月にOPENした「恵比寿じもと食堂」のお話し。

始まりは突然でした。2015年10月末に恵比寿ガーデンプレイスで開催した「エビスハロウィンパレード」。子供たちのために恵比寿のお父さん達・恵比寿の企業の皆さんご協力のもと150人の子供を連れて2.5kmの道のりをパレードするという結構至難の業のイベントがあるのですが、その当日。ドクタースランプアラレちゃんの「アラレちゃん」の格好をしたお母さんと千と千尋の神隠しに出てくる「カオナシ」の格好をした娘が突然話しかけてきた。「恵比寿新聞さんですか?5分だけお話し大丈夫ですか?」

2015年エビスハロウィンパレード。その時の模様

2015年エビスハロウィンパレード。その時の模様

話の内容は渋谷に「こども食堂」を作りたいというものでした。内閣府の平成27年の発表によると日本の子どもの相対的貧困率は15.7%。約6人に1人が貧困というデータが出ています。子供の相対的貧困率っていったいなんなのでしょうか?簡単に説明するとお子さんがいる家庭一人あたりの年間の収入が110万円以下(と言い切れないそうですね。念のため)のご家庭の率がいわゆる「子供の相対的貧困率」というものだそうです。どちらかというと母子家庭が比較的多いという数字が出ているそうです。その他にも両親が共働きで一人で晩御飯を食べている子供たちが多いというデータも出ていた。お話してくれたアラレちゃんの格好をした末岡まりこさんは「渋谷でこのこども食堂をやりたいけど場所や応援者がいない」というものでした。そもそも恵比寿は地代も高く「貧困」とはあまり縁のない土地柄ですが、ふと恵比寿新聞で13年前にあったこんなエピソードがよみがえる。

「ママ~!」と夜中に泣き叫ぶ子
ちょうど13年前恵比寿の駅前に住んでいた僕はその日友達の黒沢さんと楽しく会食したのちもう少し飲もうという事になって自宅で飲んでいた。丁度夏なので窓を開けて夜風を浴びながらウーロンハイを飲んでいると外から「ママー!!ママー!!」という子供の泣き声が聞こえてきた。僕が住んでいた階が6階だったのですが4階付近のベランダを見てみると子供が外に向かってお母さんを探している様子だった。見かねた僕と黒沢さんは一緒に子供のいる4階に向かうことになりました。

いるはずのママがいない
たぶんここだろうと4階のとある一室のピンポンを押した。すると4歳~5歳と思しき男の子がべそをかきながら出てきた。「どうした?ママは?」「ママがいないの・・・」と言ってまた泣き崩れた。このままこの子を一人にするのもなんなので彼の家のドアに「子供は預かった。602号室 高橋」と半ば誘拐のような張り紙をして(なぜあんなことしたのか・・・)子供を連れて自室に戻った。まずどういう経緯でベランダで発狂していたのかを彼に聞くと「ママがいない」の一点張り。時間は夜の23時。これじゃらちがあかないと踏んで暖かくて甘い紅茶を出しつつ「最近何が流行っているの?」と聞くと「仮面ライダー龍騎」と言ってたのは覚えている。そんな感じで彼もリラックスしてきたのか自分の家庭のことを話し始めた。お父さんは随分前から家にいないらしく、お母さんが家から居なくなったことは今まで一度もないそうだ。今日はおしっこがしたくて起きたらママがいなくなっていたそうな。ママの話をするとまたべそをかき始めたので楽しい話を延々とした。

午前0時
自宅のピンポンがなった。ドアを開けると申し訳なさそうにお母さんが彼を迎えに来た。「本当に申し訳ありません・・・」とにかく事情を聞くには時間も遅く、彼も限界ねむねむちゃんだったのでその日は何事もなく家に帰って行った。その次の日。お母さんが菓子折りをもってきた。とにかく昨夜の出来事をお互いすり合わせるために話が始まった。お話を聞くと彼女は現在30代。2年前に離婚。女手一つで彼を育てていた。昼は事務の仕事。夜はクラブでバイトという日々を送っており、彼が寝静まった21時に家を出て24時にクラブのバイトを終え帰ってくるという生活を送っていることを涙ながらに話してくれた。「お母さん何かあったら協力するから遠慮なく言ってください」と言ったものの「いえ。やっぱり自分で頑張らなくちゃ」と気丈に振舞った。数か月後彼と共にお母さんは引っ越して行った。考えてみれば彼はもう18歳ぐらいかな。今どうしてるんだろうと。都会のど真ん中ではこんなこと沢山起こっているんだろうなとずっと心のしこりとして残ってた。

その他にも・・・・
恵比寿新聞を運営していると色んな方からお便りをもらう。例えば九州から旦那の都合で恵比寿に引っ越してきたものの乳飲み子抱えながら周りに友達が居なくて孤立しているお母さん。旦那と離婚後仕事のために恵比寿へ上京するも子供2人を抱えて生活するにも大変で恵比寿新聞で雇ってもらえないかという話や新しくできたマンションに引っ越ししてきたが全くと言ってよいほど近所付き合いがなく早く実家に帰りたいと悩む主婦。もうこれって立派な「都会の病気」なんじゃないかなと思うようになっていた。

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末岡さんのお話を聞きながらそんなことを思い出していてとっさに「やりましょう」と言ってしまった。場所はうちの恵比寿新聞の事務所を使う。恵比寿新聞事務所は恵比寿4丁目に位置する昭和38年に建った日本家屋。傾いていて窓の開け閉めも大変で隙間風が入るような場所だけど快く受け止めてくれました。もともと1階は誰でも訪れることができるような「たまり場」にしたかったので空いていた。これで場所の問題はクリアした。しかし問題は「何をやるのか?」ということ。末岡さんと昼もなく夜もなく幾度となく話し合いが始まることとなる。

都会の病気
恵比寿は20年前の開発以前は「山の手の下町」と言われるような生活者と工場が多くひしめく町だったそうです。隣近所両隣つつましく助け合いながら生活していた町。現在は元々住んでいた人は開発によって土地の値段も上がった影響で土地を売りその場所に大きなマンションが多く立ち並ぶ「街」へと変貌を遂げた。実際に地域のコミュニティーはどうなっているのかというと、昔から住む人たちのつながりは今まで通りだが「新しく住む人」いわゆる「移住者」たちにはまだ全くと言ってよいほどコミュニティーが存在していません。大きく分けて「原住民」と「移住民」という構成で二分化されているのが今の「恵比寿」。実際にこういう境遇の街はたくさんあると思います。こうした状況は「いざというときに助け合えない」って問題が大きく影響すると思っていました。その為に恵比寿新聞でも「神輿祭り」や「地域の行事」や人々がつながる「飲み屋」の情報配信その他地域の人たちがコミュニケーションの取れるイベントを多く手掛けるきっかけになっているのですが、その中にこの「こども食堂」の活動も入れば「こども」を媒介とした住民同士のつながりが広がると末岡さんと僕との間で「意気投合」したのであります。

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明確な意思と想い
現在日本では多くの「こども食堂」が開設されています。子供たちの「貧困」と「孤食」を解決するためという目標の元、様々な方々が力を合わせて活動されている。しかし「貧困」と「孤食」というプライバシーが隣接するテーマの上で運営することに多少違和感を感じていました。やっていることはとても良いことです。でも参加する「当事者意識」を考えると、「貧困」と「孤食」を解決するための「施設」へ参加する参加者イメージ的に「リスク」が伴うのではないか?と思うようになった。「えー!?お前の家って貧乏なの?」「え?お前の家って片親なの?」など昨今の報道の影響もあり「そういう子が行く施設」というレッテルやイメージが出来上がっているように思えました。そして「自分たちがするべきこと」がはっきりしてきました。我々は「21世紀型のご近所づきあい」を広めるための一線を画する活動であることを明確にしました。もう一度恵比寿でご近所づきあいが活発になるような場所にしようと。私立の学校にいく子供たちの多い中で「地元」であることをこの活動で食卓を囲むだけで仲良くなれる場所を創造しようと。入口は「近所づきあい」にしようと。

施設のネーミング
上記の強い思いもありネーミングを「恵比寿じもと食堂」という名前にしました。こちらも恵比寿のコピーライター阿部広太郎さんにお願いして出来上がった名前。メインビジュアルは高橋理さんが担当してくださった。とても素晴らしいクリエイティブと名称が決まりいざOPENの日を迎えることとなるのですが・・・・実際にOPENするまでが本当に大変。保健所の問題。不特定多数の子供たちが集まるということのアレルギーの問題。料金をいくら徴収するかの問題。問題・問題・問題の山積みの中一つ一つ代表の末岡まりこちゃんと考える。しかしやったこともない事業。イメージでしかわかりません。そんな手探りの中2016年2月にOPENすることとなります。

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OPENと同時に報道ラッシュ
渋谷区初の「こども食堂」としてOPENした「恵比寿じもと食堂」は瞬く間に様々なメディアで報道されることとなります。東京新聞さんに始まり、テレビやラジオでも取り上げられました。心配していた「イメージ的問題」もしっかりと代表の末岡が取材対応した結果「恵比寿じもと食堂」としての理念が伝わっていた報道になりました。ここから恵比寿新聞の手元を離れ「恵比寿じもと食堂」という「生き物」がどんどん勢いを増して様々な方々に助けられ活動が始まっていきました。

食材提供者の存在
「恵比寿じもと食堂」で出される料理の食材は様々な方々の援助を頂き運営している。野菜は秋田県八郎潟のコダマ農場さんより無農薬の新鮮野菜が毎回提供されている。そして恵比寿生まれの米マイスター「コメ大王」こと小野瀬多幸さんが毎回最高のお米を提供してくださっている。その他、岩手県いきいき農場の三代目「三浦大樹」さんの作るこちらも新鮮な野菜を提供してくださっている。こちらの皆さんがいなければ恵比寿じもと食堂は存在していないほどお世話になっている。「初めて子供が野菜を残さず食べた」とか「おかわりするような子じゃなかったのに」や生産者の方が「お米の作り方」などを教えてくれたり、近隣の飲食店の人が「だし巻き卵のつくりかた」を教えてくださったりなど素晴らしい食育の場としても機能しています。

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壮絶な運営の大変さ
開催を追うごとに日々参加者の数が増加。毎月第二第四水曜日が「恵比寿じもと食堂」の日となった。狭い恵比寿新聞事務所には最大でも30人は入れて良いほうで。そんな場所にも関わらず2016年は延べ584名という驚異的な数の子供たちや親御さんが集まった。しかし最初のほうの運営は過酷だったそうです。代表のまりちゃん(末岡)はこんなことを言っていたのを思い出します。「朝から仕込みして昼には自転車に30人分の食材を荷物を積んで調理して子供たちに食べさせて・・・こんな大変だとは思わなかった・・・」

恵比寿じもと食堂チーム
そんな恵比寿じとも食堂はまりちゃん一人で運営している訳ではなく、毎回様々な恵比寿のおばちゃん・おじちゃんがお手伝いしている。恵比寿に住み続ける某有名スタイリストのおばちゃん・某老舗うどん屋の女将をやっていたおばちゃん・お子さんがいないので私にだったらできることあればと手伝ってくれるおばちゃん・宿題を教えてくれるおじちゃん・恵比寿に勤務する傍ら毎回手伝ってくれるおにいちゃん。こんな暖かいスタッフがともに「恵比寿じもと食堂」を支えている。

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民間でできるという事
恵比寿じもと食堂は国や市区町村の助成などを受けずに民間の力だけで運営しています。収益は大人・子供参加費500円で賄われています。食材の提供者・ボランティアで働いてくれるスタッフの皆さん・場所を提供してくれる協力者がいるおかげで「恵比寿じもと食堂」は2016年の初年度を黒字化して終えることができました。最近ではなんでも「助成金・助成金」と助成金を獲得する事業まで出来ていることにとても違和感を感じていました。元を正せば我々の税金なのにね。その助成を受けたほとんどの事業が3年後自走できなくなり終了という結末が多い中「民間でも自走的にできる!」という「モデル」を作るために今年じもと食堂は頑張りました。今年の利益は63,940円でした。まぁ儲けたいからやっているというものでもないので。でも赤字じゃないって素敵ですよね。

収益<<<つながり
お金で買えるものは沢山あれど人のつながりはお金では買えない。3.11の地震の日に恵比寿で電話のつながらない中「うちの子知りませんか?」と街ゆく人に聞いていたお母さんの顔が浮かびます。「気持ちはわかるけど、おたくすら知らないのにおたくの子を知ってるわけなじゃない」って言われているのを見てさみしい街だなと思って。「お金」は大事だけど万が一何かが起こったときに助け合える「つながり」のほうがこれからの時代重要じゃないかと最近は思っています。そんな思いのある人が集まる「居場所」って本当に重要だなと。この活動も「ちょっと空いた時間」でできることだから。つながりって本当に重要。

本年度の売上収支

本年度の売上収支

都会だからこそ必要な居場所
恵比寿じもと食堂にかかわるようになって思うのは「都会だからこそ必要なのは居場所」だと思うようになっていました。どこの地域も小学校に上がる頃には地域との付き合いが増えてくるのですが恵比寿は特に私立の学校に行く方が多い街で私立に行って大人になった方にお話を聞くと「地元の友達って1人もいないんだよね~」という話をよく聞く。だからこそ学校などのつながり関係なく住民同士が繋がれる「場所」ってとても大切なんだなと思います。その「つなぎ役」を担うのが「恵比寿じもと食堂」なんじゃないかなと。あなたの町はどうですか?

住んでいて良かったと思える街
日々運営している「恵比寿じもと食堂」にはコミュニティーが生まれています。とても暖かい空気が流れている。代表のまりちゃんが必死になってやってきたことが形になってきたのだと思います。恵比寿新聞は場所を貸しているだけ。でも思いは一緒。街の人たちが子供の成長を喜び合えるような街になったら最高だな~。それにはまだまだ時間もかかるしもっといろんな人がかかわる必要があるんだなとまだまだま道のりが長いことを感じています。でも少しでも「ちょっとつながりは作っておきたいね^^」と思う方、子供が中心にできている「恵比寿じもと食堂」ですが近々「恵比寿じもと食堂(大人版)」でもやってみたら面白いのかも。

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この子たちが少し大人になったときに「そういえば恵比寿に不思議な家があったな~あいつ元気にしてるかな~」となってくれればこのミッションは大成功。だからあと20年。30年は続けていかないといけないんでしょうね。街の人たちに育てられるような街になったら最高じゃないですか?そんな街「恵比寿」にしていくためにみなさん一緒になにかしませんか?

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