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【特集】 昔の恵比寿の思い出を残す 恵比寿ビール坂編

恵比寿新聞を運営していると色々な事があります。

そんな恵比寿新聞にこんな1通のメールが来ました。

昭和30-40年代の、恵比寿の模様をお知らせしたいのですが。単なる思い出話かもしれませんが、めまぐるしく変わってしまう恵比寿の町、恵比寿に生まれ育った者にとっては、湖底に沈んでしまった故郷のように感じております。治らない病をかかえ、余命宣告されて細々と生きている中、せめて記憶だけは残しておきたいと思いまして….。

 

実は正直余命いくばくの方と会ってなんて声をかければ良いのか。。

会ってお話するにもこんな恵比寿新聞で良いのか・・・など色々と心が揺るぎましたが

もし自分が余命何日でこの世からいなくなると言われた時、自分の故郷だった街の思い出を

何かの形で残したいと思た場合。どうしていたか。と1日よく考えました。

そして、このメールを頂いた方に会って話してみようと思いました。

 

そして後日お会いして恵比寿の思い出をお聞きし記憶ではなく記録に残そうという事になりました。

お名前は金井恒男さん。恵比寿に昭和30年代に生まれ現在の恵比寿3丁目辺りが

金井さんのご自宅で。小学校は加計塚小学校。沢山の思い出と写真を持って恵比寿新聞の事務所に

来て頂きました。体調も考慮して徐々にお話を伺う事になり、まずはご自宅の近所だった

「恵比寿ビール坂」の昭和40年頃のお話を聞く事となった。思い出話だけではなく、しっかりと

「そこに何があったか」という地図にしようと紙を広げて地図を作りました。

丁度昭和40年ごろの恵比寿ビール坂のお店のリストです。今回は恵成商店会の方の御証言も交えて

ここ「恵比寿ビール坂」の昭和40年の再現をしてみました。

今や屈指のグルメ坂と呼ばれるビール坂。昔はこんな商店が並ぶ坂でした。

画力が無くてすみません(笑)

金井さんはこの街を離れる際に思い出にたくさんの写真を1980年頃に撮影されていました。

時代背景は1960年と80年では違いますがその写真を元に今と昔を比べてみました。

まずは地図にあるビール坂の一番下りきった①です。

当時1980年、現在の餃子の安兵衛の所は魚屋さんだったんですね。今と比べてみましょう。

昔の写真側に写っている坂の上の赤い看板は「わーるど電気」さんでしょうね!!

今は「わさび」という居酒屋さんになっていますが。写真を撮っている位置はタバコ屋さん

の前あたりで現在はカフェになっている場所ですね。

昔、このタバコ屋の前にある現在「蓮」というお店の場所に材木屋さんがあったそうです。

昭和40年代小学生はそこの材木で遊んだりしていたそうです。材木屋さんの前には祭になると

飴細工屋さんが必ずきておりいつも楽しみだったそうです。そして現在の「恵比寿の杜」

のあたりにはお稲荷さんがあって、そしてちょっとした子供たちが遊べる空き地があった

そうです。そういえば、「石畳の謎」で大変お世話になったヱビス瓦の娘さんから

そんな話を聞いた事のあるような。。

さて、お次はビール坂を上がり切った場所から撮影された写真がありました。

場所で言うと②のアングルですね。現在の日仏会館の目の前のあたりです。

という事で現在の写真からどうぞ。

「ちょろり」のビルがあるのがおわかりでしょうか?右手は現在は花屋さんですね。

1980年代はどうだったのでしょうか?

さすが80年代。若干面影は残っていますね。現在の花屋さんは以前はお蕎麦屋さんでした。

その名も「ゑびす屋」というお蕎麦屋さん。そのお蕎麦屋さんの昭和初期の貴重な

写真を恵比寿新聞は入手しております。合わせて見てみると面白いかもですね。

まったく同じアングルから撮ってみました。

既に面影が・・・・この場所だったのが!

以前はこんな形だったんですね。

面影のおの字もない・・・

そして金井さんが撮影されていた写真の中に1980年代の加計塚小学校の正門が写っていました。

地図で言うと⑤からのアングルです。

そしてその正門があった現在の場所は?

面影のおの字もない・・・

実は加計塚小学校の記事については後日クローズアップしたいと現在資料をまとめています。

なんと昭和20年代の加計塚小学校の学校で配られていたプリントなど貴重な資料があります。

そして坂を上り切って現在の日仏会館前から撮った③のアングルです。

同じアングルから撮影してみました。

不思議です。道幅も違うし、何か違う街を見ているかのような。

さぁまた恵比寿ビール坂に戻ってみましょう。

この④の場所。金井さんには非常に思い出深い道なのだそうですが現在その道は有りません。

この道は駄菓子屋「むらの」に続く道だそうで非常に思い出深い道だったそうです。

現在は「恵比寿の杜」の抜け道として面影はなく。昭和40年~50年代はこの道が

子供達で一杯だったそうです。金井さんの話では恵比寿は西と東で別れており

西に行けばまた違う駄菓子屋があるけど東に行けば品ぞろえも違ったと。

その駄菓子屋「むらの」に通ずる道がこちら。

同じアングルから撮影してみました。

昔は階段があってちょっと坂になっていたそうです。

金井さんの話によると、この辺一体は再開発で近所に住んでいた幼馴染や友達が

たくさん引っ越していなくなった地域でもあるそうです。よくこの裏路地に有った

駄菓子屋「むらの」で遊んだ思い出がたくさんあるそうで。昔は近所三軒両隣、

知り合いばっかりで道を歩けば「お!どうも!」ってな具合で挨拶も頻繁だったのが

ここ最近、恵比寿は新しいマンションがたくさんできて隣の人もだれが住んでいるか

わからないようなご時世になった事を寂しく思ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

現在「恵比寿の杜」の前にあります最近メディアに引っ張りだこのチーズのお店

「スブリデオレストラーレ」は昔酒屋さんがあった場所だったそうです。

金井さんの思い出は「この酒屋さんにお菓子の景品だか何だかのフィギアが一杯あった」

なんて昔を懐かしく振り返る場面もありました。

昔は丁度「やおさく」さんの前ではやぐらを組んで盆踊りをやってらっしゃったそうです。

また復活してくれないのかな~なんて。

そうですよ!10月13日は「恵比寿ビール坂祭」があるんですよね。もちろん次回の特集は

恵比寿ビール坂祭2013

をお送りいたします。恵比寿ビール坂の飲食店が屋台を出すなどの趣向の凝らした恵比寿の奇祭です!

道ではプロレスや腕相撲が行われるなどなど企画が面白すぎるんです!!こうご期待です。

とにかくこんな貴重な写真を提供いただいた金井さんに感謝です。

金井さんが元気なうちに恵比寿の今と昔をきっちりと記録していきたいと思います。

恵比寿って「新しくてオシャレな街」と思ってる方が多いと思いますが

実は「新しい物と昔からある物が混在している街」だと恵比寿新聞は思います。

新しいことも素晴らしいことだと思います。しかし、昔からある物にも大切な物があります。

恵比寿新聞が思う「大切な物」とは「近所づきあい」だったり「挨拶」だったり

「助け合い」だったり、昔には有った物が今は薄れてきていると思います。

皆さんの近所は今でも家族のような付き合いはありますか?

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