恵比寿新聞は東京恵比寿の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

連載企画始動!「恵比寿な人たち」がはじまります。

さて、今回から始まりました新コーナー「恵比寿な人たち」

この企画はフリーペーパー「ココカラ」と「恵比寿新聞」が連動して行う

「紙」と「WEB」の融合企画でして毎回恵比寿で活躍する素晴らしい「恵比寿人」に

スポットを当てインタビュー形式で展開し”今の恵比寿””昔の恵比寿”を紐解いていく

「インタビュー型アーカイブ企画」なのであります。

実は今回の企画に賛同していただいたサッポロホールディングス株式会社様のご協力と

フリーペーパーココカラそして恵比寿新聞の共同企画になります。

今回はそんな「恵比寿な人たち」を立ち上げる事となったきっかけをお話します。

■そもそものきっかけ

恵比寿新聞を運営して3年ほど。様々な取材を行いました。特に恵比寿の歴史について

調べていますとスッポリと無い情報がありました。それは。

「戦前の記録」


※提供※渋谷区/白根記念渋谷区郷土博物館

上記の画像をご覧いただくとわかると思うのですが昭和20年の東京大空襲で

これだけの地域が被害を受けました。様々な恵比寿の歴史について取材するたびに

写真やその当時の書籍などを提供してもらうのですがほとんどが

「空襲で焼けちゃって残ってないんだよね」という言葉を何度聞いた事か。

■後世に語り継がれる恵比寿の記録

祭の伝統。古き良き恵比寿の思い出。ビール工場の鉄の塔。伝説のお店の話。町工場の記憶。

私達よりも後の世代の人たちが、昔から恵比寿ってこういう街だったんだねと誇りに思える記録が

存在していない事を残念に思ったんです。写真も記録としては少ない。古くから住む人が既に

恵比寿に居ない。ではどうやって記録を残すのか?

■先輩達の記憶を記録する

色々と考えた結果、先輩達の記憶を記録する事がまず一番重要な事ではないかと思いました。

そしてそんな先輩達から僕ら若い世代へのメッセージも聞ければどんなに素晴らしい記録かと。

恵比寿新聞が知る限り「恵比寿思い」な先輩達がたくさんいます。そんな先輩方の昔の記憶

を「紙」と「データ」で残す事で我々が年を取りそして何世代後の人でも見れる物になれば。

■記録の中で生き続ける

「昔の恵比寿はね町工場が多かったんだよ。
 ねじ工場・板金。そこから日本を支えた物が出来て来たんだよ」

「昔の祭は牛や馬で引いていた時期があった。」

「昔ビール工場では年に一回住民に開放する感謝祭があったんだ」

皆さんは知っていますか?こんな恵比寿があった事を?

孔子の言葉にこういうものがあります。「温故知新」

歴史や昔の事を調べ研究し、そこから新しい知識や見解を得られる事をさします。

古きを知り新しきを知る。今回の企画を後世に残すためこれから様々な人たちに

「本当の恵比寿」を聞き記録していきたいと思っています。

今回第一回目の「恵比寿な人たち」は日本初女性報道カメラマンの

笹本恒子さんにお聞きします。

笹本恒子
1914年9月生まれの99歳。日本女性報道カメラマン第一号として知られる。生まれも長者丸出身で小学校も恵比寿ガーデンプレイスの目の前にある加計塚小学校が出身。激動の戦前戦後を報道カメラマンとして駆け抜け現在も現役の報道カメラマンジャーナリスト。

 

笹本さんは1914年生まれの99歳。現在も恵比寿に住んでらっしゃり生まれも恵比寿。

今回のインタビューで驚くような恵比寿の当時のお話がたくさん聞けました。

そして文化的にもまだ発掘しきれていない恵比寿のとても貴重な情報も頂けました。

とてもチャーミングでオシャレな99歳とは思えない笹本さんの記事は近日公開。

フリーペーパー「ココカラ」でも同時に公開されますが、実は!?

紙とWEBの内容が違います

フリーペーパーとWEBを読めばより一層面白い内容となっておりますのでお楽しみに。

ココカラは明日20日より恵比寿の様々な場所で配布いたしますのでこうご期待!!

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