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恵比寿3丁目、旧「伊達町」と宇和島藩の関わり

恵比寿3丁目付近を散策していると「伊達坂」や「伊達マンション」

なる、「伊達」という文字をよく目にする。1928年~1966年まで

恵比寿3丁目付近は「伊達町」という町名でした。ではなぜ伊達町なる

伊達の文字が入っていたんでしょうか?

江戸時代、恵比寿三丁目付近は宇和島藩伊達家の下屋敷が存在したらしいです。

という事で宇和島藩伊達家の歴史の第一人者でもある宇神幸男先生にお話を

伺いました。宇神先生は「宇和島藩」という書籍の著者でもあり

音楽評論家としても非常に有名な方です。

上屋敷は六本木 下屋敷は恵比寿にあった

 

そもそも伊達家と言えば「伊達正宗」が有名ですが伊達正宗は仙台。

正宗の息子にあたる「秀宗」が宇和島藩10万石を与えられ

宇和島伊達藩主になります。この秀宗の歴史は非常に複雑で

歴史的にも面白いので是非「伊達秀宗ご覧になってください。

そうして宇和島藩の藩主となるのですが、そこから下る事7代、

江戸の上屋敷が何と現在の六本木、国立新美術館のあたりに有ったそうです。

こちらのご邸宅というか上屋敷にはだれが住んでいたのか?

 

上屋敷は現藩主の御屋敷

8代藩主の伊達宗城(むねなり)が住んでおり、この宗城は有名な藩主で

土佐の山内容堂、福井の松平春獄、薩摩の島津斉彬とともに「幕末四賢侯」

と称さるほどの名藩主。上屋敷はその時代の現藩主の住む場所となっており

今回の議題の下屋敷は前藩主がすむ「おじいちゃんの家」的な扱いだそうです。

そんな前藩主の住んでいたのが恵比寿三丁目にあった「下屋敷」なんだそうです。

宇和島藩伊達家の下屋敷はどの辺にあったのか

昔の地図と今の地図を合わせてみると見づらいかもしれませんが

この辺に位置したそうです。恵比寿ガーデンプレイスの目の前にある

加計塚小学校の向かいにある「日仏会館」の前の道をまっすぐ行くと

300mほどで「下屋敷」だったそうです。今や形も存在しません。

こちらが間取り図ですね。宇神先生から御借りしました。

実は宇和島藩のある愛媛県宇和島には他の藩に比べ昔の貴重な資料が

今でもたくさん残っているそうです。こういった情報や手紙その他

贈り物や宝物などたくさんあるそうです。

 

下屋敷では宴会三昧だった!?

9代目藩主伊達宗徳の正室「佳子」=「佳姫」が三味線で歌を歌い

宴会をしていたという記述も残されているそうです。

毎晩宴会三昧だったのでしょうか?

という事で恵比寿3丁目の旧町名「伊達町」の由来が宇和島藩伊達家に

由来していることがわかりました。

 

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