恵比寿新聞は東京恵比寿の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

ちいさい秋見つけてしまいました

皆さん

ちいさい秋みつけましたか?

恵比寿新聞じつは

みつけちゃいました

そろそろ肌寒くなってきたおかげで長袖の上に羽織る物を用意しないと

いけない季節がやってきました。たまには季節を感じられる

そんな記事も良いかなと思いまして今日はとある方のお話です。

現在の恵比寿4丁目の付近。元々この地名は「景丘町」という土地の名前で

昭和3年1月から昭和41年7月までこの「景丘町」という名前が採用されていました。

その以前は「欠塚(かけづか)」と呼ばれている地区でその名に由来するのが

現在ガーデンプレイス前にある「加計塚(かけづか)小学校」です。

景丘町(旧欠塚)を場所で言うと恵比寿東口の五差路をガーデンプレイスに上がっていく坂の左手の

地区がその「景丘」という地区です。右手は「動く遊歩道」ですね。

詳しくは前回書いた「旧町名」の記事を参照

歩く遊歩道を右手に見ながら歩くと左手に丘を登る坂があります。

坂は結構急な坂でこの辺は丘の上にあたります。

目黒まで下る谷の景勝地であることから

昭和三年に町名の変わる時、当て字として佳景丘(かけづか)が提案されんですが

何故か「佳」が抜けて「景丘町」になったらしいです。

面白い話昭和初期は「〇〇ヶ丘」とつけるのが流行っていたらしく

渋谷世田谷付近の宅地造成を行う昭和初期の時期、新しい町名にする際に

この「〇〇ヶ丘」が良く採用されています。たとえば「自由が丘」もそう。

目黒にある「緑が丘」もそのようです。おもしろいですね。

さて、そうこう坂を上っていると右手に小さな公園を発見しました。

景丘ちいさい秋公園

すごい変な名称ですね(笑)すみません。笑う所じゃないか(笑)

しかしどうして「ちいさい秋公園」なんてネーミングにしたんでしょうか?

夏に行っても「ちいさい秋公園」もちろん春に行っても「ちいさい秋公園」

なわけですから公園に季節感を持たせるにも無理があるなーと。

しかし公園の前に一本の木でできた碑が立っていました。

はいコチラ。ドン!

中田喜直住居跡

なかたよしなおさん???

一体誰なんでしょうか?

調べてみました。

はいコチラ。ドン!


中田喜直 1923年-2000年
日本の作曲家。東京都渋谷区出身。『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』『夏の思い出』など、今日も小中学校の音楽の時間で歌い継がれている数々の楽曲を作曲した日本における20世紀を代表する作曲家の一人である。

まじっすか!?童謡の父じゃないっすか!?

「だ~れかさんが だ~れかさんが だ~れかさんが み~つけた♪」

もうだれやねんっ(笑)

と幼少の頃の疑問に思っていましたがアナタだったんですね。

その他にもこんな名曲を作曲されています。

めだかの学校ですよ!!!!!すごい。超知ってる!!!

「だ~れが生徒か先生か?♪だ~れが生徒か先生か?♪」

って設定深すぎ(笑)すみません。ふざけすぎました(反省)

そして「雪の降る街を」です。

今気づいたんですがこの曲とても有名な曲ですがショパンの幻想曲にも

この曲の入りだし方にそっくりな曲があるんですよ。

調べていましたら中田先生。ショパンの「別れの曲」に影響を大きく受けたという逸話も

残されているそうです。「別れの曲」良い曲ですよね。

元々中田氏のご一家は音楽家族。父上の中田章氏も作曲家。

お父様の代表曲は「早春賦」

息子さんである中田喜直さんも父上の「早春賦」を超える春の歌はできないと

言ったと伝えられています。二代に渡り春と秋の歌を作曲されているなんて

本当にステキですね。兄の中田一次氏も作曲家ファゴットの名奏者だったそうです。

中田喜直さんは現在の恵比寿4丁目旧欠塚でお生まれになり

昭和5年に現在恵比寿ガーデンプレイス前に有ります

加計塚小学校に入学され幼少期はずっと恵比寿で暮らしてらっしゃったそうです。

そのまま青山学院 東京音楽学校に進まれその後第二次世界大戦では

フィリピン・インドネシアに赴き「特攻隊要員」として終戦を迎えたそうです。

そして戦後に作曲家として活躍された恵比寿が誇る日本の作曲家へ。

先日ご紹介した「長谷戸小学校」の校歌も作曲されています。

お兄様の人次氏は「加計塚小学校」の校歌を作曲されています。

という事で恵比寿が生んだ日本のショパン「中田喜直」のお話でした。

恵比寿新聞のfacebookページはこちら


Share (facebook)